2015/07/30 Thu
文化 生活
僕が断食をしてわかったこと


みなさん、こんにちは。
(写真はパキスタンのラホール博物館にある、
修行として断食をなされているお釈迦様を表現した、断食仏陀の像です。)
前回の記事で、「僕が断食をした理由」について書きましたので、
今回は「僕が断食をしてわかったこと」について書いてみます。
すべてを書くことはできないので、大きく3つ書きます。
①誰のためでもなく自分のため
断食を始めて、まず思ったのが、
「こんなキツいことジブチ人にできるはずがない」
ということでした。
1年間、小僧ながらジブチ(人)を見てきて、
「忍耐強さ」や「計画性」というものを一切感じたことがありませんでした。
だからこそ、そういう愚かな考えが出てくるのも、
自然な思考だったのかもしれません。
しかしある日、そんな自分の器の小ささを感じました。
ジブチの人たち、ひいては他人がどうこうではなくて、
「自分ができたのか、できなかったのか」
それだけを評価すべきであるし、そうすることしかできない、
そう気づいたときに、やっと一つ収穫があったなと思いました。
僕は誰のためでもなく、自分のために断食をしました。
②口が異様に臭くなる
①が真面目過ぎるので、少しふざけていますが、
これは、まぎれもない事実です。
これに気づいたのは開始1週間後くらいでした。
気になって、少し調べてみたのですが、
炭水化物の少ない状態のとき(断食中)に脂肪が燃焼する
とケトン体という物質が発生し、
このケトン体が呼気を悪臭化させるようです。
断食中に口臭がきつくなることを知ってからは、
あんまり人とお話ししたくなくなりました。笑
③やってみなければわからない
「百聞は一見に如かず」という諺のとおり、
断食もやってみなければわからないことが多くありました。
①と②に書いたことは、
もちろんやってみなければわからなかったことですし、
・断食中ののどの渇きや空腹感
(何も飲めないという意識がもたらすのどの渇きはえげつなかったです。)
・昼夜逆転の生活の歯がゆさ
(日の出ている時間帯は活動しづらいので、どうしても夜型の生活になってしまっていました。)
・楽をしようとする自分の意志の弱さ
(日中はクーラーのある場所へ逃げることばかりでした。)
そして、このやってみなければわからないことこそが
僕がこれから学ぶことになる
禅(ZEN)なのだと、今は感じています。
この経験を活かすのも殺すのも自分次第、
宗教を広くとらえ、いろんな視点を考慮できる坊主を目指します。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
では、またです!
SHARE