2017/05/11 Thu
人
事件アボカド
我が家と隣家が共有している裏庭には
一本のアボカドの木が立っている。
アボカドが大好物の私は、
長い間待ちに待って、実が熟して落ちてくるのを
楽しみにしていた。
それまで日本のスーパーに置かれている
輸入品のアボカドしか見たことがなく、
そもそもアボカドの木がどんなもので、
どのように実が成るのかさえ、
マラウイに来るまで知らなかった。
その木は高さが約8メートルほどあり、
滑って落ちて骨折するのはイヤなので、
木登りが得意な近所の人にお願いして
いくつか落としてもらうことにした。
自然に落ちたアボカドは、衝撃で割れてしまう
ことが多く、こうやって布を広げてから落ちてくる
果実をキャッチすると、無傷できれいなものが
手に入ると同僚に教えてもらった。
その木には、ざっと見ただけでも100個近く
アボカドが実っていた。
まだまだある、まだまだある。
明日もまた、ひとつ食べよう。
ところがである。
翌々日、隣り町へ買い出しに行って
帰宅したときのこと。
裏庭へ出てアボカドの木を見上げたとき、
思わず膝から落ちそうになった。
そこに起きていることが、すぐに理解できなかった。
消えてる…。
あんなにたわわに実っていたアボカドが
ひとつ残らず無くなっている。
違う木ではないかと錯覚するほど、
そこにアボカドの果実はなかった。
私はひとり立ち尽くし唖然とした。
そして近所の人たちに聞いてまわった。
事情を話しても「知らないなー」
「誰かが食べたんじゃない?」との返答。
隣家の住人は「近くの学校の生徒たちが
持って行ったのね~。空腹だったのね〜。」
と何とも軽い返事。
あれ?たいして驚かないのはなぜ?
めったに怒ることがないというマラウイ人。
ちょっと寛大すぎじゃないか…。
(夫、妻、恋人が浮気したときは怒り狂うらしいが)
あんなに楽しみにしていたアボカドが
一つ残らず消えてしまったことが
私は残念でならなかった。
一つか二つくらい残していってもいいのに、
全部持っていくかなぁ…。
でも自分が世話して育てたわけじゃないし、
まあいいか。
育ち盛りの生徒たちが食べた方が、
アボカドも喜ぶだろうと思うことにした。
その翌日、思いがけないことがあった。
残念がっていた私を見て気の毒に思ったのだろう。
隣家の住人が我が家にパンプキンを持ってきてくれ、
お向かいの少年はトウモロコシを持ってきてくれ、
同僚の息子は自分のサトウキビを分けてくれた。
なんてことだろう。
裏庭のアボカドが消える前より
種類が増えているではないか。
私はそれらをありがたく受け取った。
そのあと一人になって、この状況を把握し
だんだん恥ずかしい気分になった。
アボカドが消えて悔しがっている自分に、
「他の食べものをあげよう」と思い
すぐに行動をおこした彼ら。
一方、ただ残念がってただけで何もしなかった私。
アボカドを失ったのは隣家だって同じなのに…。
任国では思いもしないことが時々起こる。
いや、頻繁に起こる。
たいていの場合は、現地の人との関係の中で起こる。
イライラしたり腹が立つこともあるけれど、
それ以上に心和むことがあるのも確かだ。
悩んで困って立ち止まって乗り越えて。
騙されて駆けずりまわって驚いて感動して。
怒って笑って走って待ちくたびれて。
こうやって色々なことがあるうちに、
あっという間に協力隊の任期は過ぎていくのだろう。
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