JICA海外協力隊の世界日記

マーシャルのゴミから見える世界

その3:3月1日は「ビキニデー」

 写真は通称「ビキニデー」(正式にはNuclear Victims Remembrance Day 核実験犠牲者追悼記念日)の会場風景です。当日は国民の休日となっています。記念コンサート開始前でしたが、半旗が掲げられていました。

#01 「ビキニデー」とは?

 今から65年前の1954年3月1日にBikini環礁において米国2回目の水爆実験(世界初は1952年に西隣りのEnewetok環礁で実施)が行われたことに由来しています。日本では、「ビキニデー」とは当時Bikini環礁近くで操業していた第五福竜丸船員を含む漁船数百隻が死の灰を浴びて被爆した事件の日として記憶されています。

 こちらに来て初めて知ったのですが、Bikini環礁では1946年〜1958年までの12年間に原爆実験19回、水爆実験4回、合計23回もの原水爆実験が実施されています。その結果、Bikini環礁は人の住めない土地となり、住民は強制疎開させられ、当時無人島であったKili島への移住生活を余儀なくされています。まさに負の歴史と言えると思います(2010年にはビキニ環礁核実験場が「負の世界遺産」に登録されました)。

#02 ビキニはどこ?

 マーシャルの名前は知らなくとも、ビキニの名前はみんな知っていると思います。ちなみにBikni環礁の位置は上の図に示すとおり、国の北側に位置しています。また、2011年現在と2027年の将来人口を併せて示しています。これによると、現在も将来もわずかに9人。これは、Bikini環礁は将来にわたって人が住めない(聞くところによると、原水爆実験による残留放射能を測定するための関係者だけが今後も居住)ことを示しています。

 なお参考として、国全体の人口は凡例に示すように2011年53,158人が2027年には56,255人まで増えると予想されています。そのほとんどが首都Majuro環礁と米軍基地のあるKwajalein環礁での人口増加で、その他のほとんどの環礁では人口減少が予想されています。国全体の人の流れとして地方の離島から主に首都であるMajuro環礁に集中していることがわかります。

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