JICA海外協力隊の世界日記

みんなあのねのセネガル便り

みんなあのね、「私の家族」

私には、嫌な顔をしながら肩たたきをしてくれる弟と

「なんで遊んでくれないの」と泣いて叩いてくる妹がいる。

弟はパパと言う名前で、妹はシルビという。

任地に赴任してすぐに出会った家族で、

以前もこちらで家族を紹介した。

http://world-diary.jica.go.jp/nishimura/person/post_3.php

とてもお世話になっていて

私は本当の家族のようだと感じている。

そのような私に母ナフィは「本当の家族だよ」と言う。

日本人の言う家族とセネガル人の言う家族は、

少し違うかもしれない。

というのも、セネガル人の家に行くと、

誰なのか分からない人がいることが多い。

たいていの場合、その家の家族の人だと言う。

親戚も家族だし、育て親のような地域の人も家族なのだ。

血がつながっていなくても家族。

コミュニティ全体が大家族と言っても過言ではない。

私のセネガルでの母ナフィにとっては、

私は本当の息子なのである。

お昼ご飯を見て見ると、

コミュニティ全体が家族というのが見えてくる。

私の母ナフィは、対岸のゲンダール地区の女性ンダイと調理をする。

ナフィは、「ンダイは私の家族だ」と言うが血はつながっていない。

2人は23時間かけてお昼ご飯の支度をする。

それもすごい量を調理するのだ。

ナフィの家で家族が食べる分、ゲンダール地区の「家族」の分、

同じ地区に住む「家族」の分をつくっている。

各家庭がお金を出し合って野菜などをまとめて買って調理することで、

食費や炭代が安くすむメリットがあるのだ。

「ちょっと今月厳しい」

「共働きで、ご飯を作る暇もない」

と言う「家族」がいれば、

もちろんその家族たちのためにも調理する。

お互いが助け合って生きているのである。

私は、辛い時に「助けて」と言える社会が素晴らしいと思う。

母ナフィは、最近怒り気味である。

「もうすぐ日本に帰るのね、

 日本に帰ったらセネガルのことを忘れるんでしょう」

「手紙や電話を寄こすと言っても口だけでしょ」

「(2年もいるのに)日本食の作り方を全然教えてくれない」

「(2年もいるのに)セネガル料理を作れないなんて、情けない」

「私はさみしいのに、ジビは寂しい素振りを見せない」

など、あれこれ言ってくる。

日本に帰れば、日本での新たな生活が始まることは確かだけれど、

セネガルのことを忘れることはないし、

毎日、手紙を書いたり電話をしたりはしないけど、

たまには手紙を書こうとは今のところ思っている。

そして、私も寂しいと思っている。

ただ私がナフィにあれこれ言ったところで、

言い訳にしか聞こえないようで、

「口だけね」と言ってくる。

土曜日、私はナフィとンダイ、そして、

妹のシルビとセネガル料理のチェブヤップをつくることになった。

チェブはお米、ヤップはお肉という意味で、

お肉は羊の肉を使う。

おいしくできるかどうかは、

インシャーラー(神のみぞ知る)である。

先月末、母ナフィが女の子を出産した。

私は4人兄弟になったのだ。

ナフィは

「きっと女の子よ、シルビと同じような感じがする」

と言っていたのだが、

まさにその通り、3400グラムの元気な女の子が生まれた。

日付けが変わった頃、

サンルイ州立総合病院でナフィは出産した。

セネガルの病院は、多少地域差はあるものの、

「分娩は手伝うよ」程度のものらしく、

日本のように事前にいろいろと検査をしたり

数日前から入院をして準備するなんていうこともない。

ナフィは出産したその日には自宅へ戻っている。

入院費が払えないからという理由の人もいるそうだが、

入院してもしなくても変わらないと考えている人が多いそう。

お産を産婆さんに手伝ってもらって自宅で行う人もいるのだ。

出産から1週間後に、ンゲンテと言う命名式を迎え、

そこで赤ちゃんに名前が授けられる。

それまでは、両親も家族も「赤ちゃん」と呼び掛けている。

次回、私の2人目の妹のンゲンテを紹介できたらと思う。

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