JICA海外協力隊の世界日記

ブータン便り

英語が話せるということは果たして良いことなのか?

Kuzuzanpola! 隊員の岩井です。

途上国に住んでいると日本と比べ娯楽が少なく、ぼんやりする時間が増え様々なことを考えます。今回の記事では”英語が話せる”ということについて考えてみたのでそれについて記します。なお本記事は言語学も文化人類学も諸々ど素人な一隊員が書いた内容なので、話半分の半分程度で読んでいただけると幸いです。

ブータンでは多くの国民が英語を話せます。一番の大きな理由は学校現場で英語が使われていることです。国語(ゾンカ語)以外の教科(数学や理科など)は全て英語で行われています。加えて最近の子供達は小さな頃からスマホで英語のコンテンツを閲覧し、流暢な英語を話します。

しかしその弊害か最近では日常会話においてゾンカ語よりも英語を話す子供達が増えています。先日帰宅途中に小学生たちから話しかけられたので私がゾンカ語で話返したら「英語で話してくれない?」と子供達に言われ唖然としました。子供との会話でもゾンカ語ではなく専ら英語を使用している家庭もあります。この状況があと数世代続いてしまうとブータンからゾンカ語がなくなってしまうのではないかと外国人ながら危惧しています。

「言語がなくなるなんて大袈裟な~」と思う方もいるかもですが、チリのパタゴニアではそのような事例があります。下記参考動画です。

ゾンカ語はまだ希望がある方だと思っており、というのもゾンカ語には文字があるからです。文字と発音の情報さえ残っていれば言語を維持できる可能性は残せます。一方でブータンにはWikipediaによると19の言語が存在していますが、ゾンカ語以外は文字がないため話し手がいなくなればその時点でその言語は消滅します。一度消滅した言語は二度と戻ってきません。
ちなみにゾンカ語はWikipediaの消滅危機言語の一覧によると脆弱というランク付がされています。その他の現地語も脆弱もしくは危険というランク付がされています。

なお、消滅危機言語について下記の動画が参考になります。

さて、タイトルに戻りますが、”英語が話せる”ということは果たして良いことなのでしょうか?私は母語をきちんと話せる状況であれば問題ないと思いますが、母語を放棄して英語だけが話せる状況は非常に危険だと思っています。なぜなら言語は文化と非常に密接な繋がりがあるためです。その土地の言語が消滅するとその土地の文化にも多大な影響があります。文化が廃れれば国家のイデオロギーをも揺るがします。

先日タクツァン僧院に行った際に1人の僧侶から「日本人は自分たちの言語で教育を行なっていて羨ましい」と言われました。先述した通りブータンでは数学や理科は英語で教えられますが、日本では全ての科目が日本語で教えられています。
日本人の多くは英語に対する苦手意識を持っていますが、私はそのままで問題ないのではないか思うようになりました。英語が話せることよりも自国の言語を用いて日常会話をし、教育をし、書物が出版され、それらを未来永劫維持することの方が重要だからです。

ところで、子供達が英語を話し少しずつブータン全体で現地語の会話量が減りつつある中で、我々協力隊員にできることは何でしょうか?それはずばり協力隊員が英語ではなく現地語を話すことです。少し捻くれた見方ですが我々協力隊員が英語でブータン人と話すということは、彼らの現地語の会話時間を奪っているという捉え方もできます。私はこの国が好きですし、ここに住むブータン人も好きですし、その他文化、祭り、自然、料理、全てを好いています。だからこそ私はこの言語消滅の危機に少しでも加担したくないですし、もっと現地語でブータンの方々と話せるようになりたいです。

あまりまとまりのない文章ですが以上です。小さな子供達が英語を話すという現状はあるものの、ブータン政府も何もしていないわけではなくゾンカ語をより普及させる取り組みをしています。人並みの感想ではありますがその取り組み・対策が功を奏し、ブータンの言語・文化が保全されることを願っています。

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