JICA海外協力隊の世界日記

ブータン便り

ブータン生活で気がついた日本の良いところ

Kuzuzanpola! 隊員の岩井です。

海外に行くと日本の良いところを再発見できますよね。ゴミが見当たらず街が綺麗だとか、夜中でも歩ける治安の良さや四季折々の自然の美しさが定番でしょうか。

私がこのブータン生活で気づいた日本の良いところはずばり「日本語での教育」です。ブータンでは国語に相当するゾンカ語の授業以外は全て英語で実施されています。一見すると英語が話せるようになりメリットのように思えますが、ブータンで生活し様々な現地の方と交流してきた身としては寧ろデメリットの方が多いのではないかと感じます。以下その理由等を書き連ねますがあくまでこれは一隊員の感想であり、決して学術的に裏付けされたものではなく、個人の偏見と固定観念等に基づいた誤りを多分に含むものであることを予めご理解ください。

デメリット1: 英語が前提条件

ゾンカ語以外の授業、つまり数学や理科、歴史などは英語で授業が行われる訳ですが、英語が苦手だとそもそも何も理解ができないという状況に陥ります。おそらく観光者が訪れるホテルや観光地はある程度英語が通じたりガイドがサポートしてくれるため「ブータン人はみんな英語ができる!」という印象を抱きますが、観光とは無縁の田舎に行くと20代の若者でも英語が話せない・苦手な方に遭遇します。そのような方は小学校以降は通っていないというケースもあるようです。

ブータンでは小学生であっても留年の可能性があります。ブータンでは日本における小学6年生、中学2年生、高校1年生、高校3年生の時に進級テストがあり、一科目でも不合格となれば次学年に進級できません。仮に英語が苦手なら留年の可能性が一気に高まり、フェードアウトしてしまうこともあります。

ブータン人の小学校教諭の話では英語が苦手なために授業内容を理解できず、授業後にこっそり聴きにくる生徒もいるそうです。あまりにも不憫です。

デメリット2: 再翻訳

先述の通り英語で授業が行われていますが、ブータン人に「脳内で考え事をするときは何語を使うの?」と聞いたところ母語とのことでした。つまり英語で授業が実施され、脳内では母語への再翻訳という手間が発生します。脳内で翻訳したものを英語に再々翻訳することも起こり得ます。

そもそも英語で授業が行われるようになった背景要因はいくつかありますが、その一つに公用語であるゾンカ語が元々僧侶のための言語だったということから数学等の科学を表す単語が整備されてこなかったからだと言われています。語彙が限られている中で母語に存在しない事象や概念を英語から翻訳した時、一体脳内では何が起こっているのでしょうか?推測するに情報の欠落が発生するのではないかと思います。

本記事では繰り返し「英語」という単語を使っていますが、抽象度を上げて言えば「外国語」です。時々隊員でさえ勘違いしていますが、ブータンにおいて英語は公用語ではなく外国語です。外国語での教育というものは母語と乖離があり、授業内容の理解低下が起こるのではないかと予想します。

デメリット3: 母語の衰退

以前の記事「英語が話せるということは果たして良いことなのか?」に書いたように、子供達、特に首都やパロのように比較的発展した地域の子供達は流暢な英語を話します。一方で、英語を話す時間が増えるということは母語を話す時間が減るということです。学校にいる間は英語で授業を受けているため、下手すると一日のうちで母語を聞くよりも英語を聞く時間のほうが長い可能性があります。親との会話も英語である子供達も増えてきているようです。言語と文化は密接な関係にあるため、母語の衰退ということは文化の衰退でもあります。我々はブータンにおいてそれを現在進行形で見ていることになります。

デメリット4: 人材流出

英語での授業や英語の使用時間の増加により、ブータン人の英語力は高いです。英語が苦手でフェードアウトしてしまう方々がいる一方、流暢に話す方々もたくさんいます。その副作用として現在ブータンでは深刻な人材流出が起こっています(参考記事)。もちろん誰にでも移動の自由はありますが、巡り巡って英語教育により人口減少というネガティブな現象が加速してしまっている印象です。


以上が私がブータン生活で感じた英語教育によるデメリットです。
日本では外国語(英語)ではなく母語(日本語)で授業が行われるため、英語学習のようにそもそも授業を理解する云々の前の言語障壁もなく、脳内で再翻訳せずに母語で直接授業内容を理解でき、母語が忘れ去られることもありません。

ではなぜ日本では日本語で授業が行われているのでしょうか?それは先人達が明治初期を中心に外国語を日本語に翻訳、存在しない単語については造語してくれたおかげです。我々は偉大な先人達の叡智という名の巨人の肩の元で、現在の日本語での教育という恩恵を享受しているのです。改めて感謝すると共に、その重みを実感します。

昨今は小学校から英語の授業を実施したり、授業をそもそも英語で実施する等の動きがありますが、ブータン生活を通じて英語教育のデメリットを実際に見た身としては、日本語での教育を堅持していくことが日本の未来や国力の維持、文化保存等様々な観点から重要なのではないかと思います。

P.S.
本記事のサムネはチェレラ峠から撮影した写真です。左の最も高いのがジョモラリ(7,326m)、その二つ右隣の山頂がジチュダケ(6,662m)です。

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