2025/12/24 Wed
ヒマラヤの彼方で...
年功序列と能力主義 ~幸福のジレンマ~

Kuzuzanpola! 隊員の岩井です。
本記事では私がブータンで活動する中で感じた社会構造について記します。
私の活動先は農業機械化センターといい、字の如く農業の機械化を推し進める農業省配下の政府機関という位置付けです。そのため同僚達はもちろん国家公務員という扱いです。そしてブータンの公務員は基本的に年功序列に基づいて昇級・昇進が決まります。
しかし今年2月にブータン政府から発表された2025年から2035年までの戦略的ロードマップの資料にはMeritocracyという単語が記載されていました。Meritocracyを辞書で調べると「能力主義」や「実力主義」とのことです。つまり現行の年功序列から能力主義へと移行する模様です。完全移行とまではいかなくとも実力や成果に基づき人事評価を行う能力主義の要素を取り入れそうです。
ただこの能力主義はGNHを掲げるブータン社会に適合するのでしょうか?最近、マイケル・サンデル著『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(早川書房、2021年)を読みました。そこには能力主義社会において優秀な成績や結果を修めた者には優越感を、そうでない者には劣等感を抱かせるとありました。この劣等感は明らかに幸福の実現の対極にあるのではないかと思います。年功序列であれば優秀な若手が昇級できないことによる不満を感じるかとは思いますが、能力主義における劣等感と比べればストレス値は低いように思われます。というのも勤務年数を重ねれば一応昇級することができるからです。
一方で、能力主義においてはいくら勤務年数を重ねようが一生昇進できない可能性があります。能力主義というのは資本主義社会において個々の競争を刺激させ、より良い業績等を達成する一つの仕組みだと思っています。これにより労働者は昇級等でより高い報酬を得る代償としてストレスやプレッシャーに曝されます。仮にブータンで能力主義が導入された場合、多くの職員は成果を出すために今よりも真面目に働く一方、残業等が発生しストレスを抱え、家族との時間が減り、幸福から遠ざかってしまうのではないかと思います。発展と幸福、この二つはいつ考えても難しいものです。
続いては能力主義をブータンの昨今の社会問題と絡めて考えてみましょう。それは人口流出です。ブータンでは人口流出が喫緊の課題となっており、最近は落ち着いてきたものの2023年には毎月数千人の単位で国外流出を記録したようです。人口80万人と言われるブータンで毎月数千人の国外流出は人口の数%に匹敵します。私の活動先でも今年の2月に一人オーストラリアへ行きました。大学院での研究のためではありますが、ブータンに戻って来るつもりは無いそうです。
なぜ国外に出るかというと理由は複合的ですが、最も大きい理由は経済的要因だと思います。ブータンでは目立った産業が無く、せっかく学業で優秀な成績を収めても公務員くらいしか良い働き先がありません。そして就職した先で待っているのは年功序列です。どんなに素晴らしい仕事をしても給料には一切反映されず、勤務年数を重ねるしか昇給手段がないこの状況下では嫌気がさすのも理解できます。そして教育を受けた優秀な人材ほど海外に行ってしまいます(参考記事)。その結果、成果や能力ではなく勤務年数によって昇進が決まる職員が組織に残りやすくなります。このような状況への不満がさらなる国外流出を招くという悪循環を生んでいます。
この現状を見ると、年功序列よりも能力主義に変更した方が優秀な人材を国内に留めておけるのではないかと思ってしまいます。このまま人口流出が進み十分な人口を維持できなければ、幸福度の議論以前に国が成り立たなくなる可能性があります。能力主義により劣等感というストレスが社会に蔓延するものの、優秀な人材が海外に流出するのを少しでも食い止めることができます。年功序列にしろ能力主義にしろ、集団の一部は前者であれば不満、後者であれば劣等感を抱きます。何を優先し何を犠牲にするか、この判断は非常に難しいです。
年功序列と能力主義にはそれぞれ長所と短所があり、どちらを採用すべきといった単純な答えはありません。GNHを掲げるブータンだからこそ、個人の成長と社会全体の幸福を両立できるような年功序列にも能力主義にも属さない第三の選択肢が模索されることが理想的ではないでしょうか。発展と幸福を両立させるためには、社会全体でのバランスを慎重に見極めていく必要があると感じています。
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