2025/05/12 Mon
ブータンの空の下で
〜ブータンでの日々を胸に 新たなステップへ〜


皆様こんにちは。
ブータンで柔道隊員として活動していました福井勇貴です。
今回が最終回となります。これまで全8回という私の世界日記を見ていただけたこと、この素敵な機会をいただけてとても嬉しく思います。
最終回も多くの方々に読んでいただけたら幸いです
今回は「帰国、帰国後」について書かせていただきたいと思います。
まず初めに、私のブータンでの最後の活動日についてお話しさせていただきます。
最終日については前回の最後でも触れましたが、私にとって忘れられない、かけがえのない時間となりました。
選手たちとの最後の練習、最後の挨拶、そして急遽いただいたスピーチの時間。
50人以上との試合の直後だったこともあり、言葉を選ぶ余裕はありませんでしたが、この3年間で感じたこと、皆への感謝の気持ち、そして私自身の想いを、まっすぐに伝えさせていただきました。
ふと気づくと、涙を流す選手やコーチたちの姿が目に入り、私自身もこみ上げるものを抑えるのに必死でした。
その瞬間、心の中で確かに思えたのです。
「この3年間、さまざまな問題や気持ちの浮き沈みがあったけれど、それでもこの活動の日々、選手たちと過ごした時間は、決して間違いではなかった」と。
そう思わせてくれた皆の存在に、改めて心から感謝しています。
正直なところ、ブータンでの3年間は決して楽しいことばかりではありませんでした。
代表チームの活動では、監督・コーチ・マネージャーのすべてを一人で担い、何かトラブルがあれば私が交渉・対応しなければなりませんでした。
すべての状況を把握したうえで行動し、選手とともに過ごす毎日は、決して平坦なものではなかったのです。
さらに、オリンピック委員会や柔道協会から結果を期待されるプレッシャーの中で、時に押しつぶされそうになることもありました。 国際大会で敗れた際には、自分の指導に問題があったのではないか、別のアプローチがあったのではないかと、自問自答を繰り返しました。
また、初心者やジュニア選手への指導においても、「どうすればブータンで柔道に打ち込んでくれる人を増やせるのか」「日本の常識は通じない」など、常にブータンの文化や人々に寄り添いながら、指導方法を模索してきました。
ブータンで活動していた他のJICA隊員の皆さんとも多くの交流をさせていただきましたが、国際大会への引率で海外に行く機会も多かった私は、彼らの目には、きらびやかで華やかな活動をしているように映っていたかもしれません。
しかし実際は、つらいと感じることの方が多く、毎晩のように自分の存在意義や活動の意味を問い直す時間を過ごしていました。
私の性格上、そのような悩みや弱さを他人に見せるのが苦手で、いつも一人で考え込んでしまっていました。 それでも、私を信じて道場に足を運んでくれた子どもたちや、コーチ、選手たちのひたむきな姿、柔道に真剣に取り組む姿、成長を目指して努力する姿は、私にとって大きな原動力となっていました。
「また明日も頑張ろう」と思える日々を支えてくれたのは、まさに彼らの存在でした。
そんな素晴らしい仲間、選手たちに出会えたこと、そして同じ目標に向かって共に歩んでこれたことを、心から嬉しく、誇りに思います。
そんなことを思い出しながら、私のブータンでの最後の稽古が終わりを迎えました。
すべてのプログラムが終わったあと、私のもとに1人の選手がやってきました。 彼は現在高校2年生で、今後のブータン柔道界を担う代表候補として大いに期待されている選手です。
その彼が、涙ながらにこう言いました。 「先生はいつも本気で向き合ってくれていたのに、僕はサボったり、不真面目にしてしまって本当にごめんなさい」と。
まさかそんな言葉を彼から聞くとは思っておらず、私は一瞬、言葉を失いました。 その日彼に対して全く怒っていたことはありませんでした。そして、この3年間の活動の中で誰か一人に特別な目を向けることのないよう、常に公平に全員と向き合うことを大切にしてきました。
ただその中でも、彼には特別な可能性を感じていたのも事実です。 ずば抜けた運動神経と冴えた技術を持ち、柔道家として大きく成長できると確信していたからこそ、ときに厳しく叱ったこともありました。
それでも、最終日に彼が涙ながらにそんな言葉をかけてくれるとは、夢にも思っていませんでした。
私は、ブータンでの活動中に使っていた一本の黒帯を、彼に手渡しました。 そしてこう伝えました。「もし、これから辛いことや壁にぶつかることがあったら、この帯を見て“あの時”を思い出してほしい。君には本当に素晴らしい才能がある。だから、環境や他人のせいにせず、自分のなりたい柔道家像に向かって、これからも全力で進んでいってほしい」黒帯を受け取った彼は、再び大きな涙を流していました。
こうして私のブータンでの最終活動日が終わりました。
その後の約10日間は、離任・引っ越しの準備、表敬訪問、帰国前のブリーフィングなどを行いながら、友人たちとの最後の時間を過ごしました。
その間、連日多くの友人たちがFare wellパーティーを開いてくれ、あらためて私は人とのつながりに恵まれていた3年間だったと感じました。
ブータンでの生活は、現地の方々だけでなく、他の隊員や現地で働く外国人の友人たちにも支えられていました。 「現地の人々と共に暮らし、共に生きる」という海外協力隊の原点を、日々実感しながら過ごすことができました。
このような素晴らしい友人関係に恵まれたことに、心から感謝しています。
これからも、このご縁を大切にしていきたいと思います。
そして、2025年3月19日。多くの方々に見送られながら、私はブータンを離任しました。
前夜にはドミトリーで最後のお別れ会が開かれ、当日も多くの隊員の皆さんが空港まで見送りに来てくれました。空港に着くと、すでに別れを済ませたはずの教え子たちがケーキを手に再び現れてくれて、胸がいっぱいになりました。
さらに、離陸直前まで友人たちがWhatsAppでビデオ通話をしてくれ、その温かさに涙があふれました。
本当に、多くの人に支えられて過ごした3年間だったと、あらためて感じた瞬間でした。
約1日がかりの移動を経て、3月20日午前7時ごろ、無事に羽田空港に到着。
しかし、日本に戻ってきたという実感はなく、「またすぐブータンに戻るのではないか」と思っていたのを今でも鮮明に覚えています。
その後、実家のある仙台に戻り、帰国後の健康診断や諸手続きを行いました。 さらに4月7日と9日には、仙台市と宮城県への表敬訪問に参加させていただきました。
この訪問には、ブータンで仕立てた民族衣装の布を使ったスーツを着て臨み、3年間の経験を胸に報告させていただきました。表敬訪問を終えた後は、以前から関心を持っていた場所での次のステップが決まり、5月末から新たな道を歩み始める予定です。
詳細についてはここではお話しできませんが、ブータンでの経験を日本社会に還元し、元JICA海外協力隊員として、協力隊の活動や価値を多くの人に伝えていけるよう努めていきたいと思います。
以上で、今回の「帰国・帰国後」のご報告を締めくくらせていただきます。
これまで全8回にわたって掲載していただいた私の世界日記は、振り返れば本当に貴重な経験となりました。
毎回どうしても文章が長くなってしまいましたが、多くの方々に読んでいただけたこと、そして少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
最後になりますが、これまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。
また過去2年間分の私の詳しい活動内容がNPO法人JUODsさんのウェブサイトにて記載されています。
もしお時間がある方は、そちらも見ていただけると幸いです。
-JUDOsカディンチェ柔道日記リンク-
https://judos.jp/category/activity/publicity/report/bhutan/
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