2026/11/02 Mon
イベント スポーツ 活動
第5回アジアパラ競技大会に参加して

私は理学療法士としてカンボジア国立障がい者センター(NCPWD Techo Sen)、カンボジア国内パラリンピック委員会(NPCC)で活動しています。
この度、2026年10月18日から24日まで愛知県・名古屋市で開催されていた「第5回アジアパラ競技大会」にカンボジア代表選手団の一員として参加いたしましたので、その様子をご報告します。
私の配属先についての情報はこちらの世界日記の方に書いていますので、よければこちらも併せてご覧ください。
【カンボジア×パラスポーツ×理学療法】
https://world-diary.jica.go.jp/JICA_Cambodia/cat3938/post_28.php
1. 初めて日本で開催されたアジアパラ競技大会
今大会は愛知県・名古屋市で行われ、5回目にして初の日本開催となりました。
ただアジアパラ競技大会の前身であるFESPIC Games(極東・南太平洋障害者スポーツ大会)は、「日本のパラスポーツの父」と呼ばれる医師の中村裕先生を中心とした日本の働きかけによって1975年に大分県で第1回大会が開催され、今日までアジアのパラスポーツ大会が発展してきたという歴史があります。その約50年後に改めてアジアのパラスポーツ国際大会が日本で開かれたと考えると、より一層今大会が日本・アジアにおけるパラスポーツの歴史を紡いでいるように感じました。
閉会式場の日本国旗。これを見た時に感情が自然と昂るのがわかりました。
2. 今大会に出場したカンボジア代表チーム
今大会において、カンボジア代表選手団からは以下の5競技にて合計17名の選手が出場しました。
・車いすバスケットボール(女子)
・パラ陸上
・パラ水泳
・パラ卓球
・ボッチャ
車いすバスケットボール女子代表チームは2025年の予選大会を勝ち抜き、正式に出場権を獲得しての出場となりました。
その他の競技選手は「Bipartite」と呼ばれる特別推薦枠に選ばれる形で出場しました。中でもボッチャ代表は今大会が初のアジアパラ出場となりました。
3. 大会期間中の活動
今大会における私の主な活動内容としては、①代表選手らの健康状態の確認と管理、②カンボジア代表選手団と組織委員会スタッフとの細かなコミュニケーション支援、③パラ陸上チームの大会前トレーニング・コンディショニング支援でした。
①10月の愛知県・名古屋市はプノンペン市内と比べて平均気温が10°ほど低く、加えて慣れない環境による疲労・ストレスなどから免疫力が低下し、感染症にかかるリスクが容易に考えられました。そのため事前に健康管理マニュアルを作成し、大会期間中の衛生管理方法や防寒対策のために持っていくと良い衣類などについて事前に情報共有した上で日本へ渡航しました。現地では幸い予想よりも気温の高い日が続き、感染症症状を訴える選手はほとんど出ませんでした。選手たちも「思ったより寒くなく過ごしやすい」と言っていたので結果オーライでした。
健康管理マニュアルの作成に際しては、3名の短期派遣隊員の先生方(指宿立先生、渡邊裕之先生、簗瀬康先生)に多大なご尽力をいただきました。この場をお借りして改めて感謝申し上げます。
作成した健康管理マニュアル
②今大会では各競技チームごとに宿泊先が分かれていたため、各競技チームが独立して生活環境や大会に関する情報を英語で取得しなければなりませんでした。組織委員会のスタッフさんと英語でのコミュニケーションが難しい場合には私が日本人として間に入り支援させていただきました。組織委員会スタッフの皆さんが私のことをカンボジア人スタッフだと思って英語で話しかけてきてくださるので、「日本語でいけますよ」と言うと「あ、日本人なんですか!?」と毎回驚いてくださっていたのが印象に残っています。身も心もカンボジアに染まることができてきたようです。
③カンボジア代表選手団には私の他にもう1人の理学療法士が帯同していました。彼が車いすバスケットボールチームを担当されていたため、私はそれ以外のチーム、特にパラ陸上チームの練習支援を中心に担当しました。期間中に何名かの選手が身体の不調を訴えたため、カンボジア選手団団長とともに選手の宿泊先に出向いて状態確認や管理方法の指導をしに回ったのは、大変でしたが良い思い出となりました。
選手村の朝。早朝に出発して1日に5つ以上の施設・宿泊先を回ることもありました。
4. 大会結果
今大会ではパラ陸上のVan Vun選手が100m走(T54、車いすレース)で銅メダルを獲得し、史上初のアジアパラ競技大会でのメダルをカンボジアにもたらしました。彼は2014年から4大会にわたってアジアパラ競技大会に出場し続けたパイオニアの1人であり、このメダル獲得は本人の長年の絶え間のない努力やそれを周りで支えたあらゆる方々の支援の成果が実った一つの瞬間であったと思います。
Van Vun選手の表彰式(メダルセレモニー)
そのほかの選手たちはメダル獲得には至らなかったものの、それぞれの100%の力を出し切ってくれていました。
特に印象的だったのが、何名かの選手が試合に負けた後に悔し泣きをしていたことです。過去の大会の映像では負けた時も笑顔でいることが多く、このような選手らの反応は見たことがありませんでした。「前よりも良い練習ができている」「頑張れば勝てそうだ」という感覚が芽生えてきているからこその反応かなと思い、何か今後に繋がりそうな気がしました。
私としては今大会で選手の皆さんが国際大会で活躍される姿を初めて見ることができてとても興奮しましたし、改めて選手の皆さん・スタッフの皆さんへの尊敬の念が湧きました。
大会が終わりテチョ国際空港に到着した際には、Hun Many副首相が自ら選手団に歓迎と祝福のお言葉をかけに来てくださっており、また多くの報道局スタッフの皆さんも取材をしに来ていました。国内での盛り上がりを感じる一つの場面でした。
テチョ国際空港での歓迎セレモニーの様子
5. おわりに
今回出場した5競技の選手・指導者の皆さんにとって、アジア各国のトップアスリートと競い合うことは、自分たちの競技力を客観的に捉え、強みや課題を明らかにする貴重な機会となりました。私自身にとっても、今大会はこれまで行ってきた支援活動の効果を解釈する一つの良い機会となりました。
またこのような国際大会を経験した選手たちが自身の地元に戻り、そこにいる障がいを持った人々に経験を共有することでパラスポーツの輪が広がり、より多くの人が社会に参加しようと思える一つのきっかけになる(なっている)のではないかと感じました。
今大会をカンボジアのさらなるパラスポーツ発展における新たな出発点とし、大会を通じて得られた成果と課題を次の挑戦につなげていくことができるよう、私としても残りの任期でできる限りの活動を行いたいと思います。
今大会に関する情報は配属先であるNPCCの公式Facebookアカウントにて投稿されていますので、もし興味のある方はこちらもご覧いただければと思います。
【NPC Cambodia 公式Facebook】
https://www.facebook.com/share/1Bf7CnmePG/?mibextid=wwXIfr
【参考文献】
・日本パラリンピック委員会(JPC)| アジアパラ競技大会 https://www.parasports.or.jp/paralympic/jpc/asianpara/
・安岡由恵:【報告】フェスピック大会からアジアパラ競技大会へ〜アジア地域のパラスポーツの変遷と意義〜. パラリンピック研究会紀要, 25: 99-128, 2026. DOI: https://doi.org/10.32229/parasapo.25.0_99
・Asian Paralympic Committee (APC)| Our History https://asianparalympic.org/our-history/
2026年度9次隊(理学療法士) 宮下啓介
SHARE





