JICA海外協力隊の世界日記

パプアニューギニア便り

忘れ去られた戦場から日本とパプアニューギニアの縁を紹介します

パプアニューギニア(以下、PNG)に派遣されていますJICA海外協力隊の中西康二と申します。
私は土木隊員としてミルンベイ州アロタウ市(以下、任地)にある同州政府工事監督局(以下、当局)に勤務し、同僚の技術スタッフへの助言、工事現場の改善活動に取り組んでいます。


この度、任地にある旧日本軍と米豪連合国軍の戦跡を訪ねて、その今を写真でお届けし、忘れ去られた戦場から日本とPNGの縁(えにし)をご紹介したいと思います。

さて、PNGでの戦没者は約12万8千人1)ともされています。「死んでも帰れぬニューギニア」とまで言われ、その多くが飢餓とマラリアの犠牲者でした。

私の任地は戦時中ラビと呼ばれ、連合国軍の滑走路(現ガーニー空港)が建設されていました。

首都ポートモレスビー攻略を企図する旧海軍第八艦隊(旗艦「鳥海」)は1942年8月ラビ攻略を決定、ラバウルを出港した上陸部隊の船団が同年8月25日にイースト岬沖を通過、深夜に任地近郊へ上陸しています。イースト岬の海(写真)は美しく、写真の埠頭は当局が建設したもので、離島への貨客の往来や水産物の水揚げに利用されています。

写真1.jpg

上陸地点は職場である州政府庁舎の東2kmにあり、現在、小さな公園(写真)となっています。
献花台と旗の掲揚柱があり、地元の方によって清掃、除草され、よく管理されていました。
写真2.jpg

上陸地点の入江(写真)には往時の痕跡はなく、静かで穏やかな海が広がっています。
今なお、日本の戦跡が地元で大切にされていることへ深い感慨を覚えました。
写真3.jpg

上陸部隊1,202名の将兵と軽戦車2両は豪滑走路へと街道(現国道)を西進しますが、当地の8月は雨季のため道路は多くの箇所で冠水(写真)します。最終的に軽戦車2両は放棄され、同年8月27日より豪2個大隊と米3個中隊の守備する第三滑走路陣地へ銃剣のみで突撃、同年8月31日に上陸部隊は壊滅します。
写真4.JPG

奇しくも83年後の本年8月28日は私、中西がここ任地への赴任日でした。
現ガーニー空港から東へ赴任先に向かう道中、この終焉の地である記念公園(写真)に立ち寄りました。
記念公園はきれいに管理され、鹵獲された九二式歩兵砲が展示されていました。

記念碑の前で合掌し、全ての戦没者の慰霊と日米豪そしてPNGの平和を祈願しました。
写真5.jpg

今年は太平洋戦争終戦80周年にあたります。

日本人が忘れ去った戦場で、今なお日本との縁を大切にしている人たちを紹介することにより、
日本とPNGの交流と友好に貢献できましたら幸いです。

【引用文献】
1) 厚生労働省HP(2025)https://www.mhlw.go.jp/bunya/engo/seido01/ireihi06.html
2)防衛庁防衛研修所戦史室著(1971):戦史叢書第049巻 南東方面海軍作戦<1>ガ島奪回作戦開始まで p607-p639:朝雲新聞社出版


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