2026/10/26 Mon
人 文化 生活
言葉が分かっても、会話がかみ合わない理由。
こんにちは!パプアニューギニア小学校教育隊員の小山拓真です。
パプアニューギニア(PNG)で生活するようになり、改めて考えるようになったことがあります。それは、「言葉」の存在です。
日本で生活していた頃、言葉の意味について深く考える機会はそれほどありませんでした。母語である日本語を使い、相手の話を聞き、自分の考えを伝える。多少曖昧な表現を使っても、会話は自然に成立します。言葉にしなくても伝わることや、相手の意図を何となく察することもあります。
しかし、異なる言語の中で生活していると、そうした当たり前が通用しない場面に出会います。
PNGには800以上の言語があるといわれています。多様な言語を持つ人々が暮らすこの国で、共通語として大きな役割を果たしているのが、トク・ピジンです。私自身も、現地の人々とコミュニケーションを取るために、日々この言葉を学んでいます。
トク・ピジンは、比較的シンプルな語彙や表現で会話ができる言語です。一方で、私が生活の中で感じているのは、簡単な日常会話ができることと、深いコミュニケーションができることは別だということです。
例えば、相手が何かを話してくれたとき、使われている単語の意味は分かっても、何を伝えたいのかが十分に理解できないことがあります。反対に、自分では伝えたつもりでも、相手に意図がうまく届いていないこともあります。
なぜ、そんなことが起こるのでしょうか。

一つには、言葉の意味が、辞書に載っている意味だけでは決まらないからだと思います。
私たちは普段、言葉そのものだけでコミュニケーションを取っているわけではありません。相手との関係性、これまでの経験、その場の状況、文化的な背景。そうしたさまざまな情報を無意識のうちに使いながら、言葉の意味を理解しています。
日本語で「大丈夫です」と言ったとき、それが本当に問題ないという意味なのか、遠慮して断っているのか、相手を気遣っているのか。私たちは、言葉だけでなく、表情や声の調子、前後の文脈から意味を読み取っています。
ところが、異なる言語や文化の中では、その判断に必要な背景が分かりません。相手がどんな意味を込めてその言葉を使ったのか、なぜその表現を選んだのか。その手がかりが少ないために、言葉は知っていても、会話がかみ合わないことがあるのです。
また、共通語であるトク・ピジンを使っていても、一人一人の語彙や表現の仕方、言葉に込める意味は異なります。同じ言葉を使っているからといって、同じものを思い浮かべているとは限りません。
こうした経験を重ねるうちに、私は、これまで日本語をいかに曖昧に使ってきたのかを考えるようになりました。
曖昧さは、必ずしも悪いものではありません。相手への配慮を表したり、あえて断定を避けたり、言葉にしなくても気持ちを共有できたりすることもあります。曖昧だからこそ、柔軟なコミュニケーションが成り立つ場面もあるでしょう。
ただ、その曖昧さが通用するのは、互いに共有している背景があるからなのかもしれません。
同じ言葉を話しているのに、理解し合えているとは限らない。反対に、言葉が十分に通じなくても、表情や行動、相手を理解しようとする姿勢によって、気持ちが伝わることもあります。
言葉は、思っていた以上に奥深く、そして不思議なものです。

今の私は、トク・ピジンを学びながら、単に語彙を増やすことだけが言語学習ではないと感じています。相手がどんな背景を持ち、どんな意味を込めてその言葉を使っているのか。言葉の向こう側にあるものにも目を向ける必要があります。
まだまだ、思うように伝えられないことも、理解できないこともあります。それでも、分からないからこそ、聞いてみる。伝わらなければ、別の言葉で言い換えてみる。相手の反応を見ながら、少しずつ意味をすり合わせていく。
そんな積み重ねが、相手を理解することにつながるのだと思います。
異なる言語の中で生活することは、単に新しい言葉を覚えることではありません。自分が当たり前だと思っていた言葉の使い方や、コミュニケーションのあり方そのものを見つめ直すことでもあります。
言葉を学ぶことは、人を知ること。そして、自分自身を知ることでもあるのかもしれません。
これからも、言葉の向こう側にあるものを想像しながら、一人一人との対話を大切にしていきたいです。
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