2025/12/03 Wed
人 生活
Leyte上陸

Maupay nga adlaw! (ワライワライ語で「こんにちは!」)
フィリピン 障害児・者支援隊員の てらにん です。
レイテ島 アランアランにある小学校 特別支援センターの教員として活動しています。
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みなさん、レイテ島ってご存知ですか?
もしかしたら、映画等で聞いたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
私の住むレイテ島は、第二次世界大戦の際に大きな戦場となり、多くの犠牲者が出たところです。
1944年10月20日は、第二次世界大戦中に
ダグラス・マッカーサー連合国軍 南西太平洋方面最高司令官が、フィリピンに再上陸した日として、
毎年記念式典で開かれています。10月20日はレイテだけの祝日となっており、
私の配属先の小学校も休みでした。せっかく、レイテに来たからにはということで行って来ました!
・・・しかし、配属先での最初の1週間で、ずいぶん疲れていたようで・・・大寝坊・・・。
任地に来てから、初めてのバス乗車。
少しドキドキしながら、バス停へ。すぐに乗れたけど・・・、なかなか出発しない。
どうやら、乗客がある程度増えてから出発する模様。
運賃が分からず、でも急いで降りないといけなかったので、近くのお姉さんの払ってた額を真似して、支払い。
(後で・・・帰りのバスに乗った時に、全然足りてなかったことに気づく。行きのバスのお兄さんごめんなさい。
帰りのバスのスタッフさんに、行きのバスの運賃の足しに・・・とお金を渡す。
が、英語が通じず…多分ただチップあげた人みたいに・・・。
でも、帰りのバスでスタッフさんがバス車内の夫婦げんか?の仲裁に入っていたので、チップでもいいか…と都合よく解釈。)
バスを降りて、トライシクルを断りながら、歩くこと10分。
MacArthur Leyte Landing Memorial National Park,Palo に到着。

こちら、左から、3番目がマッカーサーの銅像です。分かりにくい写真でごめんなさい。
その日の気温は、33℃ 快晴。到着した頃には、汗だくでした。
(そりゃ、タオル売りのお兄さんに追いかけられるわ。)
近くには、道にパイナップル売りの屋台やブコジュース(ココナッツウォーター)、
フィリピン料理の屋台が出店していました。
配属先の児童ともすれ違い、まだ1週間しかいないにもかかわらず、声をかけてくれてうれしかったです。
一番驚いたこと。
またまた、分かりにくくて申し訳ありませんが...国旗にご注目ください。↑
それは多くの国旗が掲げられている中に、日本の国旗があったことです。
この、MacArthur Leyte Landing Memorial National ParkがあるPaloのMunicipal Buildingの敷地内には、
フィリピン・アメリカ・オーストラリア・日本合同の第二次世界大戦で亡くなった人の慰霊碑があります。

近くの建物には、第二次世界大戦の時のレイテ島各地での出来事が展示されていました。
そこで、「どこから来たの?」「この日本人、レイテのDulagでは、ヒーローになってるんだよ。」と
紹介してくださった方と出会いました。
その方のことは知らなかったけど、またDulagにも行きたいなと思います。
第二次世界大戦の時には、このレイテ島は大きな戦場となり、様々な国の兵士が亡くなったこと。
兵士ではないたくさんの民間のフィリピンの方が亡くなったこと。
慰安婦として、性被害にあった方がいたこと。
フィリピンの学校で子どもたちが学んでいる内容は、日本の子どもたちは学んでいない。
私も、フィリピンへの派遣が決まるまでは、知らなかったことばかりでした。
(フィリピンの歴史の教科書には、ヒロシマ ナガサキの原爆のことについても、記載がありました。)
せっかくレイテ島に来させてもらえたのだから、知って、学んで、話を聞いて、意見を交わして、
まわりの方たちと平和に関する対話を広げていきたいです。

最後に記念撮影。(ご本人に掲載許可いただきました。)
【 てらにん/障害児・者支援 】
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