2026/06/23 Tue
協力隊員
KAZのつれづれ「協力隊員って、どんな人?」
あれから、3年近い月日が流れた。
東京 市ヶ谷にあるJICA地球ひろばでJICA協力隊員の募集説明会が開催され、
私はその中にいた。
説明会終了後、たまたま司会の人と話をする機会を得た。
「一番大切なことは、あなたが協力隊員になりたい
という思いですよ。
その次は応募職種の専門技術知識。
語学力は3番目以降ですよ」 と、
協力隊員に必要な資質について語ってくれた。
今、こうして1年間、協力隊員として過ごしてみると、
その言葉の意味が良く分かるような気がする。
「なりたい、やりたい」という気持ちが乏しいと
2年間のボランティア生活を乗り切るモチベーションが湧いてこない。
気力が持続しないのは確かだ。
そして、専門技術知識 現地赴任後、約1か月後には職場配属となる。
3か月間の職場とのお見合い期間。
職場は隊員がどのようなスキルを持っていてどのような貢献が可能かを探る。
隊員は職場がどのような課題を持っていて自分が何が出来るかを探る。
専門性は大切なんだろうな。
そして、語学力 訓練所で初めて任国の言語を学んで派遣される人、
訓練所では語学講座が無く、
「任国で語学を学んでください」と言われて派遣される人だっている。
JICA協力隊員の世界では必ずしも語学力は
必須条件ではないかも知れない。
それは言い過ぎとして、
絶対条件ではないのかも知れない。
もし、私が同じ問を投げかけられたらどう答えるだろうか?
一番目は、「他人を尊敬する心を持った人」だと思う。
任国で活動を始めてみて、
お互いに認め合い尊敬する心を持たないと、
現地の人々との交流は深まらないような気がする。
「協力隊員でなくても当たり前なことを言っている、
と思うかも知れないが、
協力隊員は 「途上国よりも自分は優れた先進国より来た人間で、
彼らよりも自分は優れた技術を持っている」
と、思いがちである。
勿論、日本で培った自分のスキルを途上国で役立てたい
という気持ちは私だって人一倍強く持っている。
まずは、途上国だの先進国だのの垣根を取り払って、
上から目線ではなく、
お互いに認め合い尊敬する心を持つことが大切だと思う。
二番目は、「深く観察する目を持った人である」
「任国のやり方はすべて後進的であり、非合理的である。
自分が今までやってきた日本のやり方に変更すべし」
と結論づけた瞬間に活動は迷路へと迷い込む。
例えば、セントルシアでは電気掃除機は使わない。
箒(ほうき)とモップで掃除をする。
これはセントルシアの後進性ではなく文化的な違いである。
セントルシアの家屋は白いタイル張りの床が採用されており、
ほこり汚れの多いセントルシアでは箒で履けば汚れはすぐ落ちる。
落ちにくい汚れはモップでふき取る。
電気代も電気掃除機も不要で場所も取らない。
直観的に後進的、非合理的と感じたことを
「これは文化の違いだ」と思い返す力を持った
「深く観察する目を持った人」が求められる。
三番目は、「想定外を楽しめる人である」
任地に足を踏み入れれば想定外の連続である。
JICAの要請書に書かれた内容と全く異なる活動を求められる時もあるし、
要請書を書いた人が職場からいなくなっていたり、
要請書にある職場やプロジェクトそのものが無くなってしまうこともある。
更に細かいことまで含めると、
毎日が想定外の連続と言ってもいいだろう。
正直、うれしい想定外よりも想定外が大ピンチを連れてくることの方が多い。
想定外を楽しむメンタルの強さが2年間の活動を支えていくようにも思える。
さて、一番最初の話に戻すと、
任国派遣前の私の第一の不安は語学力だった。
正直な話、今もなお、
日常会話でも訛りの強いセントルシア英語が聞き取れないことがある。
Web会議をネイティブのスピードでやられると話についてゆけず、
会議後に内容の確認を要することもある。
Google翻訳やChatGPTを駆使して文章を作成する毎日だ。
それでも、何とか1年を乗り切ることが出来た。
そして、最後に気が付いたこと、
それは、 「語学力とコミュニケーション能力は別だ」 ということだった。
人や状況を理解する力はコミュニケーション能力
それを助けるひとつの力が語学力なのかも知れない。
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