JICA海外協力隊の世界日記

セントルシア便り

隊員Gのセントルシア日記_19 〜Street & Road & Avenue & Drive〜

 日本の道路は、国道も県道も市道も、例えば国道171号線のように数字で表されています。少し味気ない感じがしますので、日常会話の中では、「いないち」などのニックネームが使われているのではないでしょうか。もちろん、都心部では、御堂筋や中央大通りなど、馴染みやすい呼称が通りにつけられていて、数多くの人々が愛着をもって日々利用しています。

 ここセントルシアでは、諸外国の例に漏れることなく、道路には数字ではなく、洒落た名前がつけられています。「セントルイス通り」、「ブラジル通り」、「ビクトリア通り」 のように他国の地名が使われている通りがあります。おそらくは、本国への郷愁から、名付けられたものであろうと思われます。カナダやオーストラリアなどのいわゆる新世界において、「ケンブリッジ」や「アバディーン」などの英国の地名が使われているのに、少し似ているように感じました。また、「ブルボン通り」、「ルグラン通り」、「ブロイ通り」などフランス語の名前がつけられている通りもあります。これは間違いなく旧宗主国フランスへの憧れと言えるでしょう。ただし、首都カストリーズのタウンの中で、通りの標識を見つけるのは一苦労です。交通道路標識のように目立つものは一切なく、申し訳なさそうに、ビルの側面を間借りしたような標識が散見される程度に留まっているのです。ルシアンには全く問題がないのかもしれませんが、異邦人の私は少し物足りなさを感じてしまいます。「人々が日々出会う通りを愛おしむ」という文化の価値は、優先順位がそれほど高くないようです。

 海外の都市、例えばアメリカ合衆国のシアトル市では、東西の通りがStreet、 南北の通りがAvenue と使い分けられ、整然としています。セントルシアも、1948年の大火災後の復興事業によって、かなり整備されました。そして、都心部の道路は、そのほとんどがStreetと呼ばれ、都心から離れると距離が長くなってRoad、ごく稀にAvenue の名称が使われるようになりました。ところが、驚くことに、地図上にない愛称がDriveとして使われているのです。例えば、私のジョギング・コース途上にあるフランス大使館沿いの道は、地図上では間違いなく「ルグラン通り」です。ところが、立派な標識があって、「NELSON MANDELA DRIVE」として、近隣住民には親しまれているようなのです。この道を走る時、このネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領の標識を見かけると、地面を蹴る足に思わず力が入るというものです。また、グロズレイの海岸沿いの道も、正式には「ベイ通り」なのですが、写真まで付いた標識があって「 JEROME MONTOUTE DRIVE」としてコミュニテーの人々に愛され続けているようです。生前グロズレイ地区でとても人気のあった人物だそうです。

 さて、セントルシアには住所の番地というものがありません。例えば、私の居宅はカストリーズのビジーというコミュニティーの中にありますので、住所は「Bisee, Castries」だけなのです。逆に、これだけで通用するということは、コミュニティーの結びつきが強いのかもしれませんね。今後のミニ探究の課題にして、いつか謎を解き明かしたいと思います。従って、郵便物は私書箱を利用して受け取ることになります。また、日本でいう宅配便のような事業者もあるのですが、決して居宅まで届けてくれるわけではありません。私も、アメリカからインターネット経由で物品を購入したことがありますが、この宅配業者の事業所まで、品物を取りに行かなければなりませんでした。不在配達のようなことは全く発生しませんので、意外に合理的な納得解なのかもしれません。

 異文化理解が少しずつ前へ進みつつあることを実感する、今日この頃です。

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