2026/10/19 Mon
任国外旅行 文化
隊員Gのセントルシア日記 番外編_1 〜Journey to Martinique〜

配属先のカレッジのセメスター・ブレイクを利用して、北隣にあるマルティニーク島で2泊3日のひとり旅を楽しみました。マルティニークはフランスの海外県ですので、先に訪れた経験のある隊員仲間は、「カリブにユーロ圏があった」という感想を、事前に話してくれていました。しかし、東カリブ諸国機構(OECS)やカリブ共同体(CARICOM)などの準加盟国ですので、カリブ諸国のひとつであることに変わりはないだろう、と私自身は考えていました。熱帯海洋性気候や火山地質だけでなく、奴隷制度や植民地政策下での黒人差別など、負の歴史を共有するセントルシアの延長線上に、勝手ながらマルティニークも位置づけていたのです。第92話でお話ししたように、過去にトリニダード・トバゴを訪れた経験のある私は、スペイン統治の経験、多数派としての東インド系、独立後の共和国体制、変動相場制の採用など、トリニダード・トバゴとセントルシアの相違点を把握していました。従って、マルティニークとの間に相違があったとしても、ある程度は想定の範囲内として飲み込むことができる用意はあったのです。ところが、実際に訪れてみると、「そこには、洗練されたフランスがあった」というのが正直な私の感想となりました。大きくカルチャー・ショックを受けたのです。ほんの一例を挙げると、公共交通機関として、路線バス(ミニバスではありません)や海上高速船が整備されていました。そして、驚くことに、部分的ではありますが、バスやタクシーのための専用レーンが、片側2車線の自動車道に整然と組み込まれていたのです。

私の旅の目的は、リフレッシュです。残り3ヶ月足らずとなった活動期間を、より充実して過ごすために、古くから続くフランス文化に触れることによって気分転換したい、という思いがありました。アパルトマン暮らし、教会建築、石畳、カフェ、パティスリー、早朝バゲット、赤ワイン、白かびチーズ、そして何よりもフランス語の発音。期待に胸を膨らませて、旅の日がやってくるのを待ちました。
さて、セントルシアからマルティニークまでは、約90分の船旅(L’Express des Îles)になります。往復146ユーロ(約27,000円)の運賃以外に、出国税33東カリブドル(約1,980円)と医療保険32東カリブドル(約1,920円)が必要となりました。旅の初日、カストリーズ港において、マルティニークへの渡航ビザを求められた私は、「フランスへの入国に際し、短期滞在であれば、日本人旅行者にはビザなし渡航が認められている」と主張しました。ところが、残念ながら、船会社の職員にその知識はありませんでした。疑わしく感じた職員は、私のスマホのブラウザーに「Martinique Japanese Visa」と入力して検索してみろ、と言います。そして、私の検索結果を手にして、日本人がビザなし渡航可能なことを確認すると、今度はセントルシアでの住まいを確かめようとします。私は、1年間有効な長期滞在ビザを見せたのですが、それでも彼は、具体的な住所を要求してくるのです。仕方なく、大家との賃貸契約書のコピーを見せて、なんとか納得させることができました。しかし、続いて、「マルティニークでの宿泊先はどこだ?」と彼は畳み掛けます。二夜を過ごすアパルトマンのバウチャーを見せ、やっとのこと、次の荷物検査、出国審査へと歩みを進めることができました。今となっては、笑い話なのですが、地球の裏側では、日本人のステータスが通用しないことを、思い知らされる出来事となりました。勉強になりました。

さて、現地では、初期のめあてを次から次へと、味わい深く達成することができました。路地に面した3階のアパルトマンでは、ベランダに出て教会建築の粋を愛でることができました。15分おきに打たれる鐘の音には、文明を凌駕するような尊さがありました。石畳にテーブルとチェアを置いて味わうカフェ文化には、生活のゆとりを大切にするフランス人気質を感じました。パティスリーをはじめ、バゲット、赤ワイン、白かびチーズなどは、王政時代に磨かれた食文化の影響か、と思われるほど本当に美味しかったです。そして、フランス語の発音には、なぜか気品が備わっているような気がしてなりませんでした。(ここは、少なからず、「自由」「平等」「博愛」のバイアスがかかっているかもしれませんね。)
滞在中は、主として博物館巡りを楽しみました。考古学博物館では、アメリカ大陸の先住民がカリブにも渡来してきた事実を、再確認することができました。歴史博物館には、西アフリカの人々が奴隷として強制的に連行された(博物館ではkidnap という動詞が使われていました)事実が、誠実に、かつ如実に物語られています。祖先の記憶を、正確に次世代へと語り継ぐ博物館の使命を痛感しました。そして、丘の上に建つチャペルにも足を運びました。Fort de France市内を一望することのできる場所にある十字架に向き合って、人々の信仰心の深さに思いを致すことができました。また、18世紀や19世紀に使われていた砦(Fort de France)には、今もフランス海軍が常駐しています。非公開期間中ということで、残念ながら見学ツアーに参加することはできませんでしたが、Windward諸島の安全保障上の重要性を認識することとなりました。
最終日、セントルシア到着後、帰宅途中に、生鮮食料品を購入するため最寄りのスーパー・マーケットに立ち寄りました。プラスチック・バッグが必要でしたので、順番待ちをしていると、なんと前の男の子が、私の分までロールから切り取って、まるで当然であるかのように手渡してくれるではありませんか。マルティニークのカルフールでは、出会うことのなかった光景でしたので、古巣に帰り着いた安堵感に包み込まれてしまいました。マルティニークでは、例えば「Fist Bump(I respect you.)」や「Yea Man(I acknowledge you.)」なども、見かけることはありませんでしたので、セントルシアにおけるコミュニティーの繋がりの強さを、あらためて感じ入ることになりました。
今回のマルティニーク旅行は、洗練されたフランスとセントルシアとの違いを知ることのできる、とても良い機会となりました。と同時に、「マルティニークは、どうして独立する道を選ばなかったのか。」「セントルシアに、独立しないという選択肢はあったのか。」という疑問が湧き上がりました。また、新たな探究課題が見つかりましたよ。

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