2025/07/25 Fri
文化
隊員Gのセントルシア日記_27 〜Lucian Carnival〜


今年も7月1日から23日までの3週間余りにわたって、セントルシアでカーニバルが行われました。カーニバル(Carnival)の語源は、「肉よ、さらば!」にあると言われています。イエス・キリストの荒野での断食に習い、キリスト教には四旬節と呼ばれる節制の期間が設けられていますが、その節制に入る前の最後の宴として、カーニバルは位置づけられているのです。そして、カリブ諸国にも、植民地時代に、西欧人によって、カーニバル(宴や仮面文化など)が持ち込まれました。
奴隷制度時代、西アフリカから連れてこられた人々は、夜明け前に、主人の目を盗んで踊り出し、抵抗したい気持ちを確かめ合いました。また、耐えがたい状況や批判する気持ちを、歌や音楽に込めてひっそりと伝え合ったのです。これらが、現代のカーニバルのJ’ouvert(夜明け前に、泥やペンキなどを体に塗ったり、掛けあったりしながら踊る、ストリート・パーティー)や、カリプソ(社会風刺を、ユーモアを交えた歌詞に込める、歌や踊りのパフォーマンス)として、引き継がれているのです。特に、仮装パレードにおける人々のエネルギーの凄まじさには舌を巻きます。まさに「まち全体がステージ」、「一人一人が主役」という表現がピッタリなのです。日本の祭りも、宗教的な意味をもっており、人々の高揚感が爆発します。しかし、セントルシアのパレードを観ていると、苦しい奴隷制度や人種差別の日々を乗り越えた祖先の歓喜が、子孫のDNAに組み込まれているのではないか、とさえ思えるほどの喧騒がそこにあるのです。カーニバルを初めて体験した私自身の率直な感想です。


カーニバルの一環として、7月13日にはスティール・パンの大会が開催されました。スティール・パンは、カリブ海に浮かぶ島国・トリニダード・トバゴが発祥の地であり、オイルドラムをハンマーで叩いて複数の音が出せるようにした素朴な音階楽器です。私が日本で勤務していた私立学校の卒業生に、スティール・パンのソロ奏者がいましたので、幾度か音色を耳にしたことがありました。しかし、やはり熱帯海洋性気候のカリブで生まれた楽器で、カリブで作られた音楽が演奏され、それをカリブの風を感じながら味わうという贅沢には、一味も二味も違う臨場感がありました。その上、メロディーを演奏するパートがあれば、さまざまな伴奏を担当するパートもあるという多人数のバンド編成ですので、演奏に重層的な立体感が加わりました。そして、何よりも、奏者たちが元気で明るい。子どもから大人まで、コミュニティーの幅広い年齢層が、練習に練習を重ね、力を合わせて大舞台に立つ姿には、例えようのない躍動感がありました。実は、同期の隊員が初心者ながら、コミュニティーの一員として長期に渡る練習に参加し、この日のステージに立って見事なパフォーマンスを披露してくれました。私たち隊員仲間が、彼の素敵な演奏に、拍手喝采を送ったことは、言うまでもありません。カーニバルは、コミュニティー形成に、一役も二役も買ってくれているのです。


セントルシアのカーニバルは、1998年までは、宗教的な慣習にならって、復活祭前の2月〜3月頃に実施されていました。そして、1999年以降は、7月に実施時期が移されました。他国のカーニバルとの競合を避けるという、観光業のプロモーション的な意味合いがあるのかもしれません。しかし、より重要な位置づけがあるのではないか、というのが私の見方です。すなわち、カーニバル終了の約1週間後、8月1日に奴隷解放を記念する日(Emancipation Day)が控えており、カーニバルとの相乗効果がある、と思われるのです。祖先の苦難を忘れずに、一人一人の尊厳を守り、後々の世代まで記憶を継承するという、セントルシア国民の強固な意志を、感じずにはいられません。
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