2026/05/26 Tue
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隊員Gのセントルシア日記_78 〜Koudemen〜

沖縄の「ゆいまーる」に相当する言葉が、ここセントルシアにもありました。第65話でコミュニティーにおける相互扶助の文化を紹介しましたが、セントルシアでは「Koudemen」という言葉で表現されてきました。フランス語のCoup de Mainに由来するクレオール言語ですので、「ちょっとした手」ほどの意味合いでしょうか。Coup d’etat(国家転覆)のような恐ろしい意味は全くありませんので、注意が必要です。さて、沖縄の「ゆいまーる」は、「結い」(共同作業)と「廻る」(順番)から成り立っています。同じように、セントルシアの「Koudemen」も、農作業や家づくり、冠婚葬祭などイベントの準備に、コミュニティーの人々が無償で手を貸します。そして、「今日、手を貸してもらったから、明日は誰かに手を貸す番だ」という意識が、次から次へと受け継がれていくのです。
奴隷制度の時代や、植民地支配の時代は、苦しく辛い日々の連続であったことでしょう。決してひとつの家族だけで生き抜くことはできなかったことでしょう。そのような背景の中で、相互扶助の文化が育った史実は、とても腑に落ちるところです。そして、子孫たちは、今も日常会話の中で、協力・「Koudemen(ちょっと手を貸すよ)」や是認・「Yea Man(君の言う通りだよ)」や敬意・「Respect(ありがとう)」などの言葉を使いながら、お互いの繋がりを心から大切にしています。なんと素敵な話ではありませんか。

47回目の独立記念の日に発表された「On the Shoulders of Peasants」を読了しました。奴隷解放後、小さいながらも自らの農地を手に入れた農夫たちが、経済活動に巻き込まれていく様子が、収集された資料や、聞き取り調査に基づいて描かれており、とても力強いノン・フィクション作品でした。著者Louise Mathurin Serieux氏の、「農夫たちこそが、セントルシアの経済を築いてきた」という主張が、しっかりと読者に伝わる、エビデンス・ベースの名著です。名もなき農夫たちの活躍ぶりが、痛快に描かれており、清々しい読後感を味わうことができました。
それでは、その著作の中でも、特に印象深かったところを、紹介したいと思います。まず、1914年に始まった第1次世界大戦、1929年の世界恐慌、1939年に始まった第2次世界大戦だけでなく、世界各国との市場競争の中で、セントルシア経済は幾度もピンチに見舞われます。その度に、農夫たちは賢明な相互扶助のメカニズム「Koudemen」や、素早く失敗に学び、迅速に変容しようとするモビリティで、困難に向き合い、見事に克服していったのです。具体的には、海外市場においてサトウキビの価格が下がり出すと、新たにココア栽培を始めます。そして、ココアがダメなら、ライム。ライムがダメならココナッツやバナナへと、栽培する作物をどんどん変えていったのです。プランテーションなどの大規模農場の場合は、栽培する作物の変更には莫大な投資が必要になりますので、小回りが効かず、一大決心が必要です。しかし、農夫が持つ小さな農地の場合は、十分に機動力を発揮することができたのです。彼らの起業精神は、海外市場において競争力をもつ新たな作物の発掘に光を与え、国家経済を大きく支えたのです。また、農夫たちが次から次へと困難を克服していく姿は、セントルシアが唯一つの主要輸出作物(例えば、サトウキビやバナナ)に依存することの危険性をも示してくれました。すなわち、多様な作物を栽培することの重要性を、早い時期から教えてくれていたのです。

名もなきボランティアとして、40年の教員経験だけを頼りに、異国の地で数学教育に携わる私にも、力を与えてくれる気持ちの良い書物でした。さて、話は変わりますが、お世話になっている散髪屋の理容師・Shaneさんは、私以外にも過去に二人のJICAボランティアの頭髪を刈ってくれています。ところが、そこに留まらず、彼自身が小学生時代に、Shoko Onodera という日本人ボランティアに教えてもらった、と言うではありませんか。30年の歳月が流れ、社会人になっても、日本人教師の名前を覚えているとは、本当に素敵なご縁ですね。私も、今のカレッジの学生が、未来のセントルシアで活躍するようになった時、「日本人Mr. Makに数学を教えてもらったよ」と回想してもらえると嬉しいです。まずは、「Koudemen」や「Yea Man」や「Respect」を大切にしながら、誠実な教育活動を心がけます。
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