2026/05/26 Tue
文化
KAZのつれづれ「ジョブ型社会 セントルシア」

ロバート・ストレンジ・マクナマラは、ジョン・F・ケネディ、
リンドン・ジョンソン政権で第8代米国国防長官を務めた人物である。
マクナマラ回顧録を読んだことが彼を知るきっかけになった。
この本はベトナムの悲劇と教訓というサブタイトルが示すように
ベトナム戦争介入失敗について自戒を含め書き記した回顧録である。
もう一つ、彼について特筆すべきことがあれば、
彼は米国の自動車メーカー フォード社の社長に就任して
わずか5週間で米国国防長官に抜擢された人物でもある。
米国社会はリボルディングドアと言われるように公官庁と民間との間でまるで回転ドアのように人材が交流する社会である。
ここセントルシアは歴史的には英仏が領有を争った国ではあるが、
米国が近く、米国の影響を強く受けている。
セントルシアもジョブ型社会である。
実力一つで組織を渡り歩くようなそんなジョブ型社会の風土を感じる。
日本でもジョブ型社会への移行が叫ばれる中で、果たしてジョブ型社会は万能なのだろうか。
自分はセントルシアで1年間生活をしてみて、
ようやくジョブ型社会と年功序列型社会との違いが肌感覚で判った気がする。
JICA主催「国際機関で働くには」という講座では
典型的なジョブ型社会である国際機関で働くには大学院進学や目に見えるキャリアが必要だ
と学んだ。
だが、このようなジョブ型社会が実際のようなものなのかは
その職場に潜り込んでみないと判らない。
ここセントルシアでは内部昇格もあるが、管理職になる人は管理職として採用、
上級職員になる人は上級職員として採用といった具合に
採用時点でジョブ型の言葉通り役割分担が決まってしまうように思えるのだ。
突き詰めれば、それは管理職の仕事、これは私たちの仕事となりがちだ。
このようなジョブ型社会ではトップダウン型の意思決定が良く似合う。
反面、ボトムアップ型の意思決定は育たない。
セントルシアで活動してみて、自分の対面に立つ人はすべて管理職である。
彼らと方針を決め実行となると事務方である職員の人たちの話を聞くこととなる。
日本のような年功序列社会では、
「今は職員でもやがては管理職になる時代が来る」
という意識があればこそ、
意識と行動は管理職と同じ場所に立つことが出来るだろう。
しかし、ここセントルシアではどうも管理職と職員との間で意識と行動面で断層があるようだ。
職員の中には良い資質のあるスタッフも多く見かける。
けれども、自分たちの意識と行動で職場を変えていくという意識に到達するには
今一つのブレークスルーがひつようだ。
日本もジョブ型社会が進めば、こうしたボトムアップの力は失われてゆくだろう。
JICAが好きな中国のことわざに、
「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える」
という言葉がある。
セントルシア人を主語にすれば、
「釣りに行って魚を釣ろうという気持ちになる」
まずは、ここからかも知れない。
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