JICA海外協力隊の世界日記

セントルシア便り

隊員Gのセントルシア日記_8 〜Morne Fortune〜

 私の配属先であるサー・アーサー・ルイス・コミュニティー・カレッジは、過去に兵舎(Barracks)だった建物を、校舎として使っています。私が今オフィスとして使用しているStable14も、どうやら昔は軍人宿舎の個室だったようです。(もちろん、Stableには馬小屋という意味もありますが、ここでは相撲部屋のような宿舎を指していると思われます。)そして、この部屋の形と大きさ、私が訓練期間を過ごしたJICA駒ヶ根訓練所1号棟224号室と、なんと瓜二つなのです。そう考えると、より一層慈しみの気持ちが湧き上がります。ベッドはこの辺り、机はここ、戸棚はあそこ、という光景とともに、世代を越え、職種を越えて、期待や不安を語り合った訓練の日々が、次々と蘇るのです。翻って、このStable14に滞在した軍人は、どんなことを考えていたのだろうか、と自ずと想像力も逞しくなるというものです。

 この兵舎は、Morne Fortune と呼ばれる丘の上に建てられました。カストリーズ市内とその以北、そして島の中央部にある山々を、同時に見渡すことができますので、軍事上の要衝としての立地条件が揃っていると言えるのです。Morne Fortune とは、フランス語で「幸福の丘」という意味です。今は、未来社会を担う若者達が学ぶ丘となっていますので、呼称としては、とても的を射た表現になっています。しかし、その昔はイギリス軍とフランス軍が死闘を繰り広げる血なまぐさい戦場だったようです。まさに「国破れて山河あり」の風景が、ここには広がっているのです。

 Morne Fortune の歴史は古く、18世紀後半まで遡ります。それまではVigie の丘にあった軍事拠点を、当時のフランス軍が、1765年にMorne Fortune の丘に移したのです。その後、1794年にはイギリス軍が奪取しました。そして、翌1795年にはフランス軍が取り戻し、翌1796年には再びイギリス軍が奪い返したのです。1802年には条約によって一旦はフランスの所有が確定しますが、翌1803年にはもう条約が破棄され、イギリスによって再度奪い返されたのでした。英仏両国の確執が手に取るように伝わってくる史実です。

 歴史的建造物として残っているものも少なくありませんが、いずれも亡霊のような佇まいです。何十年、何百年と時が過ぎていく中で、自らが風化していくのを、ただじっとその場で耐え忍んでいるように、私には感じられてなりません。もちろん、丘を歩いていると、ハッとさせられるようなものにも出会います。セントルシアの位置である北緯14度・西経61度を、正確に刻む地点があるのです。西経61度ということは、地球を6分の1周しますので、グリニッジ世界標準時との時差は4時間ということになります。東京・シアトル間の時差は(日付を無視すると)8時間ですから、太平洋に比べると大西洋横断は半分ほどの距離になります。とは言うものの、当時のイギリス軍やフランス軍にとって、アトランティック・クロッシングは苦難の連続であったことでしょう。それでも互いにMorne Fortune奪還を目指したと言うことは、それだけ聖女の名前を冠する南の島・セントルシアが魅力的だったということではないでしょうか。

 「幸福の丘」には、ノーベル賞受賞者であるアーサー・ルイス氏とデレック・ウォルコット氏の墓所もあります。わずか18万人ほどの国民にとって、大きな自信や励みとなっている2人の巨人です。その両雄が、まるで今もなお、セントルシアの未来をつくる若者達に向けてメッセージを送り続けているかのようなパワースポットです。大樹が風にそよぎ、鳥達が気持ちよさそうにさえずる中で、若者達が自分らしく自由に学ぶ。まさに平和と幸福を象徴するようなMorne Fortune で、尊い教育活動に携わることができる私は、本当に幸せものです。

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