2026/04/07 Tue
助産師
助産師/"安心"と"安全"は同じだろうか

アッサラーム アライクム!(こんにちは)
2024年度2次隊、助産師隊員の斎藤千尋と申します。
セネガルの首都から車で約5時間のところにあるリンゲールという
セネガルでの生活が始まって、1年が過ぎました。
この1年の中で、
それは、「出産において、何が大切なのか」ということです。
リンゲールの医療施設では、分娩室や陣痛室に個室はなく、
家族などの出入りも多く、
そして、陣痛中に助産師がそばに付き添い、
「大丈夫だよ」「頑張っているね」といった言葉をかけることも、
最初は戸惑いました。
「どうして誰も寄り添わないのだろう」と。
日本では、医療者と家族がともに産婦さんに寄り添い、
あるとき、出産後の処置に立ち会う機会がありました。
出産でできた傷を縫う際、麻酔は使われていませんでした。
私がそばにいた女性は、痛みに顔を歪めながらも大きな声を出すことなく、
布を口に当てて声を押し殺すようにして耐えている姿が、
その場は、とても静かでした。
日本の分娩室よりも、ずっと静かに感じました。
思い返せば、赤ちゃんが泣いたときに、すぐに「ノッピ!(
小さい頃からそうした環境の中で育ってきたからなのか、
自分の感情や痛みを表に出さずに、
そんなふうに感じることもありました。
静かに、淡々と出産を終えていく姿は、とてもたくましくも見えます。
けれど同時に、そこに寄り添いがないことを、
それは、私がこれまで思い描いてきた「温かいお産」とは、

けれど、ここで過ごすうちに、
この場所で女性に寄り添っているのは、助産師ではなく、
母や姉妹、そして時には、これまで多くの出産を見守ってきた“
村では、病院ではなく、
信頼できる人にそばにいてもらうこと。
それが、
自宅での出産には、その人なりの理由があります。
プライバシーが守られた空間で、静かに出産を迎えられること。
医療施設のように人の出入りを気にする必要がないこと。
夜間で移動手段がないこと。
そして、「特に問題がなければ病院に行く必要はない」
「病気になったら病院に行く場所」という認識が強く、
一方で、どのようなときに急いだ医療処置が必要になるのか、
また、それが十分に伝えられていない現実もあります。
そんな中で、
そこには、医療施設までの距離や費用だけでなく、施設に行くタイミングがわからないことや、
また、施設でのプライバシーの問題や、地域のつながりによる「
それを知ったとき、これまで感じていた戸惑いが、
「なぜ病院で産まないのだろう」と思っていたことが、
必ずしもその人たちの“選択”だけではないのかもしれない。
そう感じるようになりました。
そうした中で、私は
「安全」と「安心」は、同じものなのだろうか。
と考えています。
家族に囲まれ、
それは、確かにその人にとっての安心であり、
もしかすると、自宅での出産は、ただ“よくないもの”
けれど同時に、どんなに安心できる環境であっても、
急な出血や異常が起きたとき、
「安心して産めること」と、
「安全に産めること」。
その両方を守ることは、こんなにも難しいのだと感じています。
日本では、その両方を大切にできる環境があることにも、
では、本当に大切にしたい出産とは、どんなものなのだろうか。
「どこで産むか」ではなく、
「どのように産めるか」。
そしてその選択が、
“知らないまま”ではなく、
“知った上で”できるものであるために。
少しでも女性たちが自分自身で安全を守れるように、
そして、セネガルの女性にとっての「出産において大切なもの」
答えを探し続けていきたいと思います。
長くなってしまいましたが、お読みいただきありがとうございました。
Jërjëf (ありがとう!)

2024年2次隊,助産師,リンゲール 斎藤千尋
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