2026/06/15 Mon
助産師 生活
幸せって何だろう。
Njooko!Naa fio? こんにちは!お元気ですか? 2024年度2次隊松岡つぼみです。 セネガル隊員の中でも珍しいセレール語をメインで使うSalyです。(セネガル名:サリー セーヌ) 首都から車で約3時間の場所にある小さな町Diofior(ジョフィオール)で助産師として活動しています。セネガルでは現地語の1つであるウォロフ語がよく使われていますが、私の任地はセレール族の町で、日常会話はセレール語のため、私も必然的にセレール語をメインで使う隊員となりました。現地の人々はウォロフ語も理解できます。他の地域に行くとウォロフ語が飛び交うため、私は任地を離れるときは少し緊張します。
セネガルに来て1年半が経ちました。セネガルで感じているリアルをお伝えしていきたいと思います。
『幸せって何だろう。』セネガルに来て何度も考える内容です。 日本で長く生きてきた私にとってセネガルでの生活は不便なこともありますが、それ以上の幸せを感じています。自身が感じることはもちろん、現地の人たちを見ていても幸せそうだなと思うことが多くあります。日常のちょっとしたことでの子どもたちの素敵な笑顔、大人たちの笑い声。みんな毎日楽しそうで幸せそうなんです。そんな感情、日本にいるときは考えることが無かったように思います。
毎日のように考えていた幸せということについて、ある出来事をきっかけにさらに考えさせられることとなりました。私が活動している病院で生まれた赤ちゃん。生まれてすぐ元気がなく他の病院への搬送が決まりました。 その時、私に決定権はないのですが『これで良かったんだろうか。』とつよく思いました。 少し遠い村から分娩のために病院へきたお母さんとおばあちゃん、その家族は裕福ではなさそうでした。赤ちゃんはあまり状態が良くなく、長生きしないだろうという所見。お父さんは電話越しで搬送を拒否しています。他の病院への搬送は救急車で行われますがその後の面会にかかる移動費は自己負担。また治療費もかかると思われます。それをこの家族が支払えるのか。 いろいろなことを加味すると『これで良かったのだろうか』という問いに行きつき、悩むのでした。 その後どうなったのかは搬送先からの連絡がなくわからないままですが、良い方向に向かっているといいなと祈るばかりです。 お母さん、赤ちゃん、その家族みんなが幸せと思える決断をできる環境であってほしかったと思う反面、医療従事者としては環境の整った場所で赤ちゃんをケアしてもらうのが優先と思う部分もあり、難しいなと思った経験でした。 裕福だから、環境が整っているから、 すべてが幸せとは限りません。 現にいま私のいるセネガルの環境は、お世辞でも整っている、裕福な環境とは言えません。 が、現地の人々共に『幸せ』を感じながら生きています。 幸せって捉え方次第だなと学ばせてもらいました。
このみんなの幸せが続き、さらに幸せが増えますように。 任期中に少しでもみんなの幸せに携われたらいいなと思っています。
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