2025/06/23 Mon
サッカー 協力隊60周年
協力隊60周年企画/スリランカ帰国隊員のイマ/牧野 稔(サッカー)


読者に向けて自己紹介
初めまして。牧野 稔と申します。私は、2022-2次隊でスリランカへサッカー隊員として派遣されました。2022年と言えば、世界的にコロナが流行している頃で、ピークは越えていたもののまだまだ日常生活でコロナ対応を強いられている状況でした。
前職では、民間企業で会社員をしていました。11年間勤めた会社でしたが、これからの生き方を考える中で色々と悩みましたが、最終的には退職するという判断を取りました。退職してから何をしようかと考えていたのですが、ちょうど青年海外協力隊の募集を目にする機会がありました。今から振り返るとすごい偶然だったと思います。2021年5月末で退職し、次の6月末が募集の締め切りでしたので、“えいや”の勢いで青年海外協力隊へ応募したことを覚えています。
隊員時代の活動に関する思い出について
実は、私にとってスリランカという国は、初の海外経験となる国でした。幸いにも、これと言った病気や事故もなく、無事に2年間の活動を終えることが出来ました。
活動では悩むこともありましたが、それ以上に子供たちとのサッカーが純粋に楽しかったです。唯一の心残りは、体力が落ちる前の年齢で青年海外協力隊に参加していれば、子供たちともっとサッカーが出来ていたのになぁと思うくらいです。
活動の目標としていたことは、子供たちが笑顔で楽しくサッカーをすることです。普段はおとなしいスリランカの子供たちから、サッカーをしている時は素直な感情を引き出したいと思いました。時にわがままな一面もありましたが、子供たちの表情に、自然に湧き出る感情を見て取れたことは、自分の活動の一番の成果だと感じています。
帰国後の進路について
帰国後は、島根県の海士町で働いています。海士町は、島根県の日本海沖にある隠岐諸島の中の一つの島です。そして、青年海外協力隊としてスリランカに行く前のグローカルプログラムという研修でお世話になったところでした。3ヶ月という短い期間でしたが、研修中はとても充実していました。帰国後の表敬訪問として改めて海士町を訪れた際に、町の方から海士町への移住についてお誘い頂きました。
海士町は、地方創生の取り組みで有名な地域です。元々は日本各地で問題になっている人口減少と少子高齢化に直面していた地域ですが、そこから様々な取り組みで地方の課題に向き合い続け、今では日本中の自治体が注目する地域になっています。20年近くもその取り組みを続けている海士町に興味を持ち、ここでの生活を決めました。
協力隊への応募を考えている皆さんへのメッセージ
実際に海外でのボランティアを体験したことで、改めて青年海外協力隊という制度は素晴らしい制度だと感じています。何よりも、スリランカで共に活動した協力隊員は、皆それぞれに個性があり魅力的な人たちでした。同じ日本人であることが頼もしく感じるくらいに。スリランカでの生活に加えて、そのような人とともに活動する二年間は、人生の中での色鮮やかな経験になりました。
だからこそ私は、青年海外協力隊という制度がもっと一般的なものになって欲しいと思っています。どこか遠くにいる特別な誰かがやる大きなことではなく、身近にあるちょっとした普通の自分ごととして。それこそ、多くの人が、その瞬間の好奇心でもって“えいや”と参加できるように。それくらいの気持ちがちょうどいいと思います。
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