JICA海外協力隊の世界日記

スリランカ便り

第五章 おじいちゃんのダーネ【桃子の体験記】

こんにちは。
青年海外協力隊、元スリランカ隊員の倉田桃子(くらたとうこ / 2022年度4次隊 / 青少年活動)です。

私がスリランカに赴任して3ヶ月後、小さい頃から実家でお世話になった父方の祖父が亡くなりました。
日本の葬儀に参加するかどうか家族とも話し合い悩んだ末に、私はスリランカに残ることにしました。
家族のことなので配属先にも相談したところ、家の近所のお寺で弔いをすることになりました。
第五章では、そのスリランカの仏教行事について書いています。

目次
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1. 3ヶ月目の日
2. スリランカで弔う
3. おじいちゃんのダーネ
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1. 3ヶ月目の日

私が生まれ育った実家では父方の祖父と祖母も一緒住んでいて、小さい頃からお世話になった。
私がまだ小さい頃、家には犬と鶏がいて、おじいちゃんが世話をしていた。私は小さい頃から動物が大好きで、おじいちゃんがお世話する様子をそばでよく見学していた。犬は高齢のためある日突然この世を去ったが、「あの子は煙になってお空にのぼっていったんだよ。」というおじいちゃんの言葉を当時はずっと信じていた。
日曜日の夜はおじいちゃんの部屋で「生きもの地球紀行」という動物番組を一緒に見るのが日課だった。世界の大自然とそこで生きる動物の姿を見て、私もいつかそういう景色や生き物に出逢いたい、と憧れた。

おじいちゃんは定年になるまでお勤めをしていて、テキパキと家事や庭仕事もこなす人だった。「ちゃんとしなさい」とよく言われたし、褒められた記憶はなかった。
私が実家を出て東京で暮らし始めると、「変わりないか?」とおじいちゃんから時々メールが来た。コロナ禍ではよく短い電話もかけてきてくれた。口ではあまり言わないけれど、なんだかんだ私のことを気にかけてくれていることが嬉しかった。

私が仕事を辞めて実家に帰った時、おじいちゃんは91歳、でも身の回りのことは全て自分でやっていた。
ある時、散歩に行くおじいちゃんが心配なのでついていった。
「私、2年間スリランカへ行くことになったよ。」
「へえ、そうか。……ずいぶん勇気があるねえ。帰ってくる頃、あたしはもういないかもね。」

そしてスリランカへ経つ前日、おじいちゃんは急に体調が悪くなって入院した。
スリランカへ降り立った日、入院中のおじいちゃんは意識がなくなってしまった。

もしかしたら、という心配がずっとあった。家族とも連絡を取り合っていた。
もしもの時は、急に日本に帰ることになるかもしれない。そうなったら調整や手続きが必要になるため、配属先の上司であるセンター長にも相談していた。センター長はとても協力的だった。

8月16日、私がスリランカに来てちょうど3ヶ月目の日だった。
家族から連絡があった。祖父が亡くなったと。






2. スリランカで弔う

家族と話し合い、私はこのままスリランカに残り、日本の葬儀は欠席することにした。

今まで心配してくれていたセンター長にもすぐに事情を説明した。
「そうか。仕事は休んでいいよ。もし良ければ、お寺でおじいさまを弔わないか。」
それができるならばぜひ、とお願いした。

家の近くのそのお寺には一度行ったことがあった。週に一度、お寺の一角をユースクラブの開催場所として解放していて、地域の子どもたちが集まる場に参加させてもらったのだ。

スライド1.jpeg※家の近所のお寺。住職のお坊さんは親日な方で、私がはるばるスリランカに来てくれて嬉しいと歓迎してくださったし、今回も「あなたのおじいさまのために良い弔いをしましょう。」と協力してくださった。

祖父のお葬式の日、日本時間に合わせて近所のお寺を訪問した。センター長とその奥様と子どもたち二人が一緒に来てくれた。

お寺の菩提樹の下にある小さな仏間。ござを敷いて皆で座った。
お坊さんがいくつかお経を唱えてくださった。スリランカでは一般庶民も一緒に声に出してお経を唱える。私の祖父のための弔い、お坊さんは祖父の名前も呼んでくださった。
途中、お経を唱えながら、白い器に白いポットから水を注いで溢れさせる儀式。ポットと器を皆で支えながら行う。水は故人の功徳を象徴し、その徳を皆に分け与えるという意味があるそうだ。

スライド3.jpegスライド4.jpeg






3. おじいちゃんのダーネ

葬儀の翌日、職場の同僚も一緒に私の祖父を弔うため「ダーネ」というスリランカ式法事をすることになった。
平日で授業があるにも関わらず(学生は先生のいない間は自習)、ほぼ全員の同僚と町役場の職員さんまで来てくださった。センター長が色んな人に声をかけてくれたらしい。
いざという時、仕事よりも人との繋がりを優先してみんな駆けつけてくれる。職場や仕事の関係者の家庭で葬儀があると、たとえ少し遠い町でも皆で出かけていくことがある。これはよくあることで、学生にも理解があるようだった。

ダーネ当日はお供えの手料理を参列者それぞれが持参する。
事前に誰が何を持ってくるか割り振ってあった。お坊さんと参列者も食事するため、かなりの量が必要だ。また、同僚は釜戸で火をおこして調理している人も多く、朝4時ごろから準備してきたらしい。
私も朝から卵焼きを作り、大家さんと庭で採ったフルーツとともに持っていった。

お寺には炊事場があり食器類も用意されていた。サラダやフルーツなどの生ものはお寺の炊事場で準備し、その他持ち寄った料理はそれぞれ器に盛り付ける。

スライド5.jpegスライド6.jpegスライド7.jpeg※仏様にお供えするため、小さな器に料理を盛り付ける。

スライド8.jpegスライド9.jpeg
ここはシンハラ語で「チャイッティヤ」と呼ばれるドーム型の仏舎利塔で、中にはカラフルで大きな仏様の像がある。
まず、こちらの仏様にお花と料理をお供えする。
仏様のそばに皆で座ると、お坊さんがお経を読んでくださり、私たちも一緒に唱えた。
その後一人一人順番に仏様を参拝する。

仏様をお参りした後は、お坊さんに食事を振る舞う。
そしてお坊さんのお食事の後、参列者皆で食事をする。

スライド10.jpeg食事の後、部屋にござを敷いて皆で座り、白いポットから器に水を注ぐ儀式。
そしてお坊さんのありがたいお話を聞く。
シンハラ語のお話の全てを理解することはできなかったが、日本とスリランカの繋がり、日本への感謝、日本から私がはるばるスリランカへ来たこと、そして私や家族を支えて大往生した祖父のことについて話してくださっていた。それを約20名の参列者がしっかり聞いてくれていた。
おじいちゃん、スリランカからの弔いとお祈り、届いていますか。

スライド11.jpeg

スライド12.jpeg※お坊さんには感謝を込めて、お坊さんの装束やうちわなども贈呈。これらは事前に商店で購入したもの。この後、参列者一人一人がお坊さんにご挨拶をして(お坊さんの前にしゃがんで足に軽く触れて深くお辞儀をする)、無事ダーネは終了した。

おじいちゃんが亡くなった知らせを聞いたあとは、何度も涙が出た。間に合わなくてもいいから日本に帰った方が良かったのかな、とモヤモヤした。
でも、スリランカのお寺で過ごしていたら、気持ちが変わった。
スリランカの友人がたくさん、お坊さんとともに、日本に感謝し、繋がりに感謝し、手間をかけておじいちゃんを弔ってくれた。とても大きくてじんわりと心温まるありがたさを感じた。

これで良かった。このままスリランカで頑張ろう、と思えた。
おじいちゃんが喜んでくれている気がした。

***

「おじいちゃん、ただいま。」
帰国後、実家に着いてすぐ、仏壇の祖父にお線香をあげる。
スリランカでの2年間をやり切って清々しい気持ちだった。おじいちゃんがずっと見守ってくれていた気がした。

しばらくして、祖父の三回忌に参列した。
「無事帰国し、日本でも祖父の法事をしました。あの時はどうもありがとう。」とスリランカの同僚に写真とメッセージを送ると、返事が来た。
「あなたのスリランカでのすべての功績を、おじいさまはきっと受け取られたことでしょう。」
なんてあたたかくて嬉しくなるお返事なのだろう。

勇気を出して一歩踏み出し、行って良かった、スリランカ。
 


 

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