2025/09/19 Fri
障害児・者支援
【特別編】障害児・者支援/バンコクにてまさかの退避生活 続き


■職種:障害児・者支援
■配属先:チャンタブリー県特別支援教育センター
■名前:川口正樹
サワディカップ。前回の投稿に続いて、タイの東部チャンタブリーに障害児・者支援で派遣されている川口です。
今回は、私の配属先であるチャンタブリー県特別支援教育センターについて、これまでの活動についてお話したいと思います。ここには、多種多様な障害(知的・情緒障害、自閉症、肢体不自由、難聴等)がある約150人の子供たち(3歳から18歳まで)が保護者の送り迎えで通所しています。日本で言うところの特別支援学校と療育施設の中間的な存在です。スタッフは、クルーと呼ばれる先生とサポーター(支援員、設備・警備担当、料理人、掃除担当等)約80名で運営されています。センターの他にも、別の市にもサブセンターがあり、そちらに通う子どもや在宅の重度障害児・者の対応や保護者への相談・支援、また通常の学校の中にも、特別支援学級を立ち上げ、一般の子どたちと同じ環境で過ごすインクルーシブ教育の推進もこのメインセンターが手掛けています。さらに市内の病院の中にも、入院中の子どもたちのために院内学級を立ち上げての活動もしています。
私が所属するメインセンターには、年齢・障害種別などで分けられた17クラスがあり、8:00~15:00までで活動しています。まず朝の全体会があり、国家斉唱・国旗掲揚に続き、仏法僧のお祈りを唱え、国王賛歌を歌います。そして、今日の日付、日程の確認、連絡事項のあと、障害の有無にかかわらず使える手話のような言語(タイ語で「パサー・メカトン」と呼ぶ)紹介に続いて、私が行っている「日本語・日本文化紹介」があります。
これまで、簡単な日本語のあいさつのことばから始まり、今は主に日本の手遊び歌を紹介しています。「時計の歌」からはじめ、「トントントントンひげじいさん」「ふるさと」「小さな世界」などこれまでで13曲にレパートリーは増えています。みんな日本語はわからなくても、見よう見まねで楽しく踊ったり歌ったりしています。子どもたちはとにかく元気で、しかしそれに勝るとも劣らないスタッフたちの明るく楽しそうな様子、まさに「微笑みの国」タイです。


そして、図書室の一角に日本語・日本文化紹介コーナーを作らせてもらって、週1時間ずつ7クラスの活動を支援しています。大好きな日本の手遊び歌、お手玉、あやとり、かるた、百人一首(坊主めくり)、ジェンガ、すごろく、お絵かき歌、脳トレなど。クラスの状況はもとより、その日のメンバーや能力、雰囲気・やる気などに合わせて、微妙にアレンジさじ加減をしています。そのコーナーを作るにあたって、タイと日本の国旗を掲げ、タイの地図と世界地図を貼り、日本らしいグッズを見て触れるように配置し、居心地の良い空間づくりを心掛けました。(ねこだけに)たまに、その時のセンターの看板猫が気持ちよさげにごろにゃんすることもありました。それからコーナーのシンボルは、大きな桜の木です。模造紙12枚分をつなげた紙に大きな木を描き、その桜の幹や枝に、1時間の活動が終わるたびに子どもたち一人一人が一輪ずつ桜の花を張り付けるのです。始めはちらほら咲き始めた桜の木も、いつしか三分咲き五分咲きそして見ごろを迎え、今ではまさに満開の花盛りです。子どもたちは私の孫のような年齢なので、私はまさに「花咲かじいさん」おとぎ話の世界、メルヘンですね。


スタッフたちに対して、研修会も行いました。あやとりについての研修会です。手元を写す提示装置と私の日本語をクルーに通訳してもらいながら、何とか☆が完成しました。クルーたちも大喜びで、私もとてもいい気持ちにさせてもらいました。このように楽しい日常も、まさかのバンコクへの退避となってしまいました。早く任地に戻りたい。スタッフたちも子どもたちも、「なんでサイナム(私のタイ語のニックネーム)は帰ってこないの・・・???」と思っていることでしょう。
第3の故郷、「チャンタブリー」に戻れることを祈りつつ、ここらでペンを置き(パソコンを閉じ)たいと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。
*この原稿を書き終えた後、私は何とかチャンタブリー県に戻れることが決まりました。しかし、元居たメインセンターのある地域はJICA安全対策措置の下、渡航ができません。そこで、チャンタブリー県内、少し離れたサブセンターに任地を変え住居も引っ越しとなります。それでもわが第3の故郷、チャンタブリーに帰りたい。あと残りの任期を「微力だけども、無力ではない」の気持ちで活動していきたいと思います。
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