2026/01/12 Mon
文化 観光
♯40 世界遺産シリーズ⑧:タンロン城

Xin chào mọi người!!!(皆さん、こんにちは!)
ベトナムの林です。
前回に引き続き、私が訪問したベトナムの世界遺産をご紹介したいと思います。
今回は、ハノイ市中心部にある世界遺産「タンロン城」をご紹介したいと思います。

【タンロン城について】
正式名称「ハノイのタンロン皇城の中心区域(以下、タンロン城)」は、ベトナムの首都ハノイ中心部にあり、2002年に国会議事堂の移転工事の際に大規模な遺跡群が発見され、発掘調査が進んだ結果、2010年に世界遺産に登録され、現在でも調査が続いているそうです。
「タンロン(Thăng Long)」とは「昇龍」という意味で、現在のハノイの旧称です。皇帝が都を移した際、金色の龍が現れて天に昇るのを見たことに由来するとされています。以前紹介した「ニンビン」(♯29参照)が、10世紀、ベトナム最初の独立王朝 「丁朝(Đinh Dynasty)」と、それに続く前黎朝(Early Lê Dynasty)の都でした。その後、11世紀(1010年)に「リー・タイ・トー李朝」によって、ニンビンからタンロンに都が置かれました。以降、李朝、陳朝、黎朝など、歴代のベトナム王朝が約800年間に渡りここを都城とし、阮朝がタンロンからフエに遷都する1804年まで、軍事拠点として利用され続けました。
この遺跡の最大の特徴は、歴代王朝の都の跡が、地中に層状に重なって保存されている点で、これにより、8~19世紀に至るベトナムの歴史と文化の変遷を知る上で極めて貴重な証拠となっているそうです。
(写真:タンロン城入口)

【実際の様子】
主な見どころを時代が古い順に説明すると、①8世紀以降の「ホアン・ジエウ通り18番地の考古学遺跡」:2002年の発掘で発見され、実際に歴代王朝の遺構が層になって重なっている様子を見学できる、②黎朝 (15世紀)の「敬天殿 (キンティエン殿)」:かつて皇帝が政治を行っていた宮殿の跡。現在、建物はなく、龍の彫刻が施された石の階段のみが残されています。その他に、③端門 (南門):阮朝 (19世紀) /黎朝の遺構、④後楼 (ハウラウ)、⑤正北門 (チン・バク・モン):同じく阮朝時代の建物、⑥D67の家と地下司令室:20世紀後半、ベトナム共産党政治局や中央軍事委員会、国防省の重要な会議が開かれた地下施設があります。
実際に、観光すると少し物足りなさを感じるかもしれません。その原因は、タンロン城の大部分は既に失われてしまっているからです。タンロン城の大部分が失われた原因は、主に2つあります。1つ目は、阮朝による解体です。1804年、阮朝が中部フエへの遷都に伴い、タンロンの皇城は大規模な宮殿としての役割を終え、ほとんどの建物が解体されました。その後、阮朝は解体した場所に、規模を縮小したハノイ城壁を再建し、正北門はこの時代に建設されたものです。2つ目は、19世紀後半、フランス植民地時代に入ると、残っていた阮朝の城壁や建物の一部も破壊されてしまいました。正北門には、1882年のフランス軍の攻撃による砲弾の跡が生々しく残っています。加えて3つ目として、20世紀後半、ベトナム戦争の時期、タンロン遺跡のエリアは北ベトナム軍の重要な拠点として利用されたため、当時の地下司令室「D67の家と地下司令室」などが今も保存されているという側面があります。
(写真:正北門 (チン・バク・モン))
皆様いかがでしたでしょうか?タンロン城はハノイ観光の中でもハイライトの1つです。見る場所は少し少なく感じるかもしれませんが、このように歴史的背景を知ってから観光すると違った視点で見ることができると思いますので、ぜひ皆さんもハノイにいらした際はぜひ足を運んでみて下さい。ベトナムの世界遺産も残すところ後1つ!任期中に必ず観光に行って、皆さんにご紹介したいと思いますので、楽しみにしていて下さいね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
Hẹn gặp lại nhé!!!(またお会いましょう!)
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