2025/01/10 Fri
ジンバブエにおける黒人と白人の共生
みなさん、こんにちは。2023年2次隊、体育隊員の長谷川貴大です。2023年10月からジンバブエはブラワヨにあるHillside Teachers Collegeという教員養成校で体育科の講師として活動しております。現地の学生が将来、教員として効果的な体育の授業を展開できるように授業を通じて学生のサポートを行っています(写真1:水泳の授業の様子)。
今回は、ジンバブエにおける黒人と白人の共生の歴史についてお話ししたいと思います。私の任地はヒルサイドという地区です。ヒルサイドはブラワヨの中心街からは南東方向に位置し、約8キロメートルの距離があります。ヒルサイドは閑静な住宅街として知られ、ヒルサイドダムズなどの自然景観も楽しめるエリアです。そのためジンバブエの植民地時代、ヒルサイド地区には白人が集中して住む傾向があり、今でもその名残から多くの白人の方を見かけます。
ジンバブエは、1980年にイギリスから独立する以前、ローデシアと呼ばれ、白人少数派による支配が続いていました。1980年の独立以前、ジンバブエでは人種隔離政策(アパルトヘイト)が実施されており、教育制度も人種によって厳しく分離されていました。私の配属先であるHillside Teachers Collegeも例外ではなく、当時は白人専用の教育機関として機能していました(写真2:1980年以前に撮影された私の任地)。
独立後、ジンバブエ政府は教育制度の改革に着手し、人種別教育システムの廃止や教育機会の均等化を図りました。これにより、以前は白人のみが通っていた学校にも、黒人を含む多様な人種の学生が入学できるようになりました。しかし、私の配属先では、現在白人の学生は見られません。これは、独立後の社会変動や人口動態の変化、さらには「ホワイト・フライト」と呼ばれる白人の国外移住などが影響していると考えられます。
「ホワイト・フライト」とは、特定の地域から白人が大量に移住する現象を指し、ジンバブエでも独立前後に多くの白人が国外へ移住しました。この結果、かつて白人が多数を占めていた地域や教育機関でも、現在では白人の姿が少なくなっています。私の任地もその一例と言えるでしょう。
しかしこのような歴史的背景がありながらも現在ジンバブエでは、黒人と白人が共生し、多様な文化が共存する社会が形成されています。私自身もその環境に身を置きながら、日々彼らの文化や歴史を学んでいます。
以上、私の任地における歴史的背景と現状についてお伝えしました。引き続き、皆様のご支援とご指導を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
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