JICA海外協力隊の世界日記

この島、ポイ捨てやめるってよ

祝! ペリリュー島上陸

Alii

南国パラオから約1ヶ月ぶりの更新です。ますます黒くなり現地人化が進んでいます。

さて今回より、遂に私の任地である「ペリリュー島」について書いていきたいと思います。

201649日、コロールでの研修を終えペリリュー島に船で降り立ちました。ちょうど1年前の201549日は、天皇皇后両陛下がご訪問された日。記念すべき日です。ペリリュー島は太平洋戦争の激戦地であった島で、日本軍は1万人以上の戦死者を出しました。そして今もなお当時の遺跡が残っており、遺骨もまだ多く埋まっています。そのため両陛下はこの地で慰霊をすることを強く望まれ、昨年戦後70周年の節目の年に記念式典という形で実現しました。いや~1年早かったら謁見できたのに残念!!なおこの一大行事を記念し、49日は州の祝日に制定され、毎年両陛下ご訪問記念式典が開催されることになりました。「テンノウヘイカ」もパラオで通じます。日本人として嬉しい限りです。

(写真は島の船着き場に書かれている日本語のメッセージ)

そして今年は第一回目の記念式典。船着き場(北の端)に大量の荷物とともに降り立った私は、他のJICAメンバーとともにバスに乗って一路式典会場のメモリアルパークへ(南の端)。初めてみるペリリュー島。街中を過ぎるとジャングル、またジャングル。ここに2年間住むのか、そう思うとわくわくするような、不安なような。不思議な感覚に襲われました。

しっかり日本国旗も飾られた式典会場にも続々と来場者が集まりはじめましたが、そこにサングラス&帽子の男性が来場。「あれが大統領だよ。」さすがパラオ。他多数のお偉い様方も参列し、式典は暴風のもと着々と進行していきました。式がある程度終了すると、待ちに待ったランチタイム。フライドフィッシュや豚肉、大洋州名物のタロイモなど、皆さん本当に良く食べます。よく主食は何?と聞かれますが、米です。タロイモは現在はイベント事や葬式などで食べる程度で、毎日米を食べています。なおパラオの中心部にあるお店では日本米も置いていますが、ものすご~く高いので買いません。

そしてデザートにものすごい色のケーキが。ペリリュー州旗の基本色が水色なので、水色のケーキ。パラオは、世界第2位の肥満大国です。

式が完全に終了すると、陽気な男性が踊り始めてお金をもらっていたりギターでセッションを始めたり、自由な時間が流れていきました。そして、一人になる時間が近づいてきました。

他のJICAメンバーと一緒に北の港まで移動し、みんながボートに乗り込むのを陸でポツンと見守ります。そして、出港。さよ~なら~、また会う日まで!(翌月にはコロールに行くんですけどね)

ついに一人島に取り残され、その瞬間から日本語を使わない生活が始まりました。英語がそこまで得意ではないので不安だらけの生活です。

その後州政府の職員(当時はただの怖いお兄さんかと思ってました)に再度式典のあったメモリアルパークに連れていってもらい、そこにいた職員の人達に自己紹介しつつ、ビールを飲みつつ、子ども達と逆立ちをしつつ後片付けを手伝い初仕事を終えました。来年は主催者側で参加するのだろうな。

ある程度片づけも終えるともう帰っていいということになって、軽トラックの荷台に乗って一人暮らしをする家に向かうことに(パラオの協力隊員は基本ホームステイですが、諸事情により一人暮らしすることになりました)。この家のことについては後日記載したいと思います。

帰宅すると荷物の整理もほどほどに、心身ともに疲れ切っていたので水浴び(シャワーではない)をして泥のように眠り、長い長いペリリュー島生活の一日目が終了しました。これからどんな生活が待っているのでしょう!

次回は、なぜ私がペリリュー島に派遣されたのか、活動のことを書き綴りたいと思います。

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