JICA海外協力隊の世界日記

マテ茶とおしゃべりでとらんきーろ

27) 隊員紹介➃ 青少年活動隊員

Hola!今回も隊員紹介を行いたいと思います。今回紹介したい隊員は青少年活動隊員のAさんです。Aさんは日系移住地ピラポで活動されています。ピラポは首都からも遠く、日系社会で何を感じ過ごしているのか大変興味がありました。また、いつもAさんと話す際、Aさんから溢れ出るやさしさと面白さを感じており、じっくりとお話を聞いてみたいと思い今回インタビューをお願いしました。

それでは、よろしくお願いします!

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▼活動について教えてください
私はパラグアイの南部、イタプア県のピラポ市で活動をしています。ピラポ市は日系移住地で、私の配属先はピラポの日系社会を取りまとめているピラポ日本人会です。ピラポ日本人会は日系人の生活の基本となる部分を事業として担っており、大きく分けて医療、福祉、教育、治安、植林の5つの事業があります。私の職種は青少年活動のため、その中の教育事業をメインの活動先として与えられ、ピラポ日本人会立日本語学校と附属幼稚園で活動をしています。日本語学校は毎週土曜日のみ(1~7時間目まである)のため、平日火曜〜金曜は幼稚園で活動をしています。また、ピラポ日本語学校は国語の授業がメインで、一部絵画や体育の授業をするときもあります。私の主な活動内容として、絵画や習字の授業の補助、校内の5S活動を行なっています。また最近は、学校が創立25周年を迎えたため、その記念冊子の作成をメインに行なっています。幼稚園では、図画工作の授業を担当しています。そして、どちらとも共通する活動としては、私自身パソコン・動画作成が得意なこともあり先生へのパソコン(エクセル、ワード、パワポ)指導や動画作成講座、教材作成を行なっています。日本語学校も幼稚園も、勤務歴の長いベテランの先生方が多いです。教育現場で働いたことのない新参者の私が教育の指導を行うことはできないため、いずれも先生たちの痒いところに手が届くような、100円ショップのような存在になれたらと思い、活動をしています。

▼これまでの経歴(現在の職業・協力隊のきっかけ含め)
前職はWeb制作会社で働いていました。今とは全く関係のない業種のため、パラグアイに来てから勉強させてもらってる毎日です。協力隊のきっかけについては、私が広島出身であることが大きな背景としてあります。私は広島で生まれ育ち、祖父母も広島で戦争の被害を受けました。広島で生まれ育ったことで、平和学習を受ける機会も多く、被爆者の方や、戦争体験者の方から生の声を聴く機会も多くありました。そのため幼少期から、平和や戦争は人ごとではないという気持ちがありました。そして大学進学のために京都に出て他県の方との話す中で、原爆・平和に対する感覚の違いにショックを受けました。あくまで私のコミュニティーの中の話なので全ての方がそうではないと思いますが、広島の人と他県の人にとっての8月6日の重さが違うと感じました。確かに関西の方にとっては身内に起こった話ではなく、広島の人が感じる重さとは違うとは思いますが、その違いがどうしてもショックで、もっとたくさんの人に知ってほしい、絶やしてはならないと思い、ボランティア団体に所属し発信活動を行うようになりました。そのうち、世界では当時日本で起きたような戦争が今もなお起こっていることや、想像を絶する貧困問題など国際問題があることを知り、国際ボランティアにも目を向け、活動を行いました。大学生活は、自分の中でたくさんのやりがいが残る4年間になり、そのままの勢いで企業等には就職せず、1人で民泊業を行いました。民泊業を始めたきっかけとして、所属していたボランティア団体の活動があります。活動を行うために資金調達は大切であり、資金を自分たちで生み出すことができればその資金を使ってより社会貢献できるのではないかと考え団体内でビジネスチームを作ることになりました。京都には当時空き家が多くあった為、空き家を活用したらビジネスになるのではないかと発案し、事業を行っていました。その後個人的にも民泊業をはじめ、大学卒業後1年間はそれで生計を立てていました。しかし、翌年から民泊法が改正され、営業ができなくなってしまったことをきっかけに民泊業をやめ、知り合いの運送会社に就職をしました。そこでも多くのことを勉強させていただき、やりがいもあったのですが、やはりこれまでのボランティアなどの自発性のある活動経験をもっと活かしたいと思い、モヤモヤしていました。そんなとき、知り合いの方の講演会イベントに参加し、プレゼンターの方が言っていた「このままでいいのか?」というフレーズが胸にグサッと突き刺さりました。それがJICA主催のイベントで、そのままJICA青年海外協力隊の説明を聞いて、家に帰ってすぐに応募しました。それが2019年の秋の話です。ありがたいことに青年海外協力隊に合格しましたが、世はすぐにコロナ禍となり、いつ派遣が再開されるか分からないため、私は一旦転職をし、Web制作会社に入りました。そして2022年ごろ、ようやく派遣が決まり、職場を退職し今に至ります。



▼活動の中で印象深かったこと
日系の方々とお話をする中で、「パラグアイに住まわせてもらっている」という考えを持っている方が多くいらっしゃることは印象深いことの一つです。私は日系移住者がパラグアイに与えた影響はとても大きいと思っています。パラグアイにおける機械化農業を進めたのは日系の人たちだと聞いたことがあります。そのため、部外者の私としては、日系人のおかげでパラグアイの農業が盛り上がり、経済効果をもたらしていると感じていますが、日系の方々は決して驕ることはなく、あくまで自分たちは住まわせてもらってる身分だからと、とても謙虚だと思いました。日系の方々は、パラグアイの文化を吸収し生活に馴染み、その中で日本の文化を受け継いでいっています。ちょうどパラグアイの大統領が去年変わった時も、とある日系の方が、「大統領が変わることも、日系人にとってはセンシティブな問題だ。国の方針が変わることによって、いつ自分たちが追い出されるか分からないから。」と言っていました。日本に暮らす日本人の私にとっては、マイノリティーを日常の中で感じる機会がほとんどありません。しかし、ここはパラグアイ。パラグアイ人でもあり日本人でもある日系人の繊細さを感じました。また、私がピラポ移住地に初めて着いた日、日系の皆さんがあまりに流暢に日本語を喋られていたことにとても衝撃を受けました。ピラポでは現在学校に通っている子どもたちは3世〜4世の世代ですが、1世の方がまだご健在で日本語を母語として話すご家庭が多いため、日本語レベルが非常に高いです。私のボランティア要請内容が「日本文化を伝える」であったため、派遣前は日本文化が衰退しているところを想像していました。しかし、実際は皆流暢な日本語を話し、YouTubeを日本語で見ていたり、ピラポ内で最新の日本の歌も流れていたりしていました。パラグアイの中で日系の人たちは日本語を継承語として習っていますが、日系の方がパラグアイ人の方とお話しする際、物事を考えるとき日本語で考えスペイン語で話す人が多く(年代にもよる)、日系社会において日本語は母語に近いという感覚が、着任したばかりのころは不思議でした。そして、ピラポで日本語や日本文化が強く残り伝承されているのは、パラグアイ人の国民性にも関係していると思います。パラグアイの人々は大らかな方が多く、争いごとを好みません。ピラポでもたくさんのパラグアイ人の方が暮らしていますが、日本人の文化を尊重して共生しています。こうして日系文化を保つことができるのは、文化を受け入れるパラグアイ人の大らかさのおかげでもあるのかもしれません。

▼今後の目標(この隊員生活をどう活かすかも含めて)
直近の目標としては、「原爆展」を私の任地であるピラポで開催したいと思っています。ピラポに赴任した頃、日本語学校に通う子どもたちに「広島」や「原爆ドーム」って知ってる?と聞くと、多くの生徒は聞いたことはあるというレベルで、あまり詳しくは知らないと言っていました。そのため、まずは学校の授業で、平和学習をさせていただき、その上で、生徒を巻き込んで「原爆展」の開催を
するのが私の直近の夢です。原爆展を通して、ヒロシマの魅力や原爆の悲惨さ、平和の尊さを、当たり前に生きられる今だからこそ伝えていきたいと思います。それが広島出身である私が青年海外協力隊として派遣される意義であるとも思っています。そして、帰国後の目標としては、まだボヤッとしか考えられていないのですが、今回教育現場で活動させていただき、改めて教育は大切だと感じました。私が大学生の時に好きだった名言に、南アフリカ共和国元大統領であるネルソンマンデラの言った、「教育は、世界を変えるために使うことができる最強の武器である」があります。教育現場での経験を経て、教育は人としての最初の基盤を作るところであり、そこが崩れていたらいい国はできない、戦争が起きないためにそういうところから携われる仕事がしたいと思うようになりました。大学生の時に好きだった名言が、ここでの経験を経て点と点が線になったように感じ、改めて教育が何よりも大切だと気が付き、今後は教
育に関わるような仕事ができたらと考えています。

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Aさんありがとうございました。日系社会で生活をする中で感じたこと、考えたこととても興味深く感じました。また、ボランティアに参加した動機の一つが平和の尊さを伝えたいということでしたが、話を聞いていて私が考える原爆や平和に対する考えとも違うように感じました。私は福岡出身で幼少期、義務教育の中で平和学習は何度も受け、修学旅行で長崎へ、社会人になり広島にも行きましたが、原爆や平和について考えることはあっても、Aさんのように誰かに伝えたいとあまり思ったことがありませんでした。毎日当たり前のように平和にくらし、そして今パラグアイで活動できることも平和があってこそだと思います。帰国後広島や長崎へ行き、平和についてもう一度学び直したいと思いました。また今回初めて教育現場で活動したことで教育の大切さに気付いたとのこと、素敵だと思います。Aさんのこれまでの経験、平和への思いがたくさんの子供たちに届くよう、応援しています!

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