JICA海外協力隊の世界日記

古田賢二のネパール大好き日記

ネパール大震災を経て

4月25日にM7.8のネパール大震災が発災し、加えてその後の5月12日のM7.2の余震により、ネパール中西部地域を中心に、死者9千人に迫る甚大な災害が発生しました。

私は、健康管理(健康診断)制度で一時帰国している時に、日本でネパールの震災を知りました。

JICAは、隊員の安全確保を図るためカトマンズ周辺地域の隊員を日本に緊急帰国させ、活動地域や住居の安全性の確認を行ってきました。その後、一定の安全の確保がされたことから、私は、6月1日にネパールに再赴任することができました。ネパールを出発してから実に42日ぶりの帰国です。

バンコクからカトマンズへの飛行機がトリブバン空港に近づくと、飛行機の窓から周辺の山の鞍部や尾根の平坦な所がいくつもキラキラと太陽の光を反射して輝いているのが見えました。しばらくしてから、地震で家が壊れた被災者たちがトタン板で応急の住居を作っているのだと分かり、初めてネパールの震災を体感しました。飛行場からカトマンズ市内の道沿いは、一見すると壊れた建物や道路はなく普段とあまり変わった様子は見受けられませんでした。しかし、注意して見ると、5階建て以上のビルには人の気配がありません。高層の建物に被害があるようです。JICA事務所もビルが損傷したため近くのホテルに一時移転しており、隊員の連絡所兼地方隊員のカトマンズでの宿泊所であるドミトリーも、使用するためには修復と耐震補強が必要な状態でした。

私の住居は、3階建ての建物ですが地震の被害は殆どなく、到着した日から自宅に戻ることができました。家に帰ると1階に住む大家さん一家が総出で出迎えてくれました。夜行の飛行機で疲れているだろうとの配慮から、夕ご飯をご馳走してくれました。久しぶりの本物のネパールご飯の美味しさと、再会を懐かしんでくれるカルキさん一家の優しさに胸が熱くなりました。

私の職場では、外周の煉瓦ブロック塀が崩れたこと、1階の事務所の2部屋が損傷を受け修理が必要な状態であることの他は目立った被害はありませんでした。カビ毒の分析に使用する予定の検査機器である高速液体クロマトグラフィー(HPLC)が無事なことを知って安心しました。

カトマンズ市内では、テレビやインターネットでも繰り返し放映されていた世界遺産ダルバールスクエアーやビムセムタワーは地震で崩壊して見るも無残な姿をさらけ出していました。また、地域一帯の地層が雪崩と土砂崩れとにより崩壊し甚大な被害を被ったランタン地方の被災者は、ボダナートというチベット仏教の聖地の近くで避難生活をしています。ボダナートの近くにある広場には100を超えるテントで一杯でした。このテントは、大きさは大小様々で竹などを用いて骨組を作りプラスチックのシートで覆った簡易なものが殆どでした。また、近くにあるネパール随一の高級ホテルのハイアット・リージェンシーでは、被災者に敷地の一部を提供しており、ここにもテントが立てられていました。

ボダナートのストゥーパと呼ばれる仏塔には目立った被害はなく、被災者と思われる人々で混雑していました。ここでは地元のボランティアが被災者にビスケットやパンなどの食料品を配っていました。

私の任務はネパールの食品衛生向上の支援です。仕事を通じた食の安全・安心の確保の活動は、ネパールの復旧・復興に必ず役立つと信じて、職場や地域のネパールの皆さんと一緒に約1年間の任期を全うしていきたいと思っています。

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