2024/10/07 Mon
人
#28 身近な人の死


こんにちは。
協力隊員として海外で生活していると、悲喜こもごも様々な経験をします。今回は、そのなかでも身近な人の「死」について皆さんにお話したいと思います。
同僚であったアルナさんについてのお話です。
アルナさんはソーシャルワーカーとして20年以上活動されている大ベテランで、利用者からの信頼も厚い方です。
その訃報を聞いたのは2024年6月下旬でした。日曜日の夕方に、たまたまジムで同僚と会った際、深刻な表情で話しかけられました。
「アルナさんが亡くなったよ」
聞き間違いかと思い、何度も聞き返しました。同僚が「この人だよ」とスマホの画面を見せてくれました。写っていたのは紛れもなく私の知っているアルナさんでした。
驚きで頭が真っ白になり、言葉を失いました。
享年54歳という若さでした。
6月1日に職場のセレモニーに参加したのを最後に、末期がんであることが判明し、その後約3週間ほどで帰らぬ人となったのです。
私はアルナさんと定期的に利用者の現状について話し合っていました。アルナさんはいつも真剣に私の話に耳を傾けてくれ、また私には利用者の支援に役立つ情報を教えてくれました。ついこの間まで元気そうな姿で出勤していたので、この事実を現実のものとして考えられませんでした。
こんなに若い人が病魔に侵され、あっという間にこの世を去ることが信じられませんでした。人はいつ死ぬかわからない、という事実を改めて突きつけられた思いでした。
同時に今ある命は当たり前ではないということにも気づかされました。なにげなく生活していても、病気や災害などが襲いかかると、瞬時にその生活は消えてしまうのだと。
だからこそ、「今」を精一杯、悔いのないように生きたい。アルナさんの早すぎる死を通じて、私は自分の人生において、興味のあることにチャレンジをして、日々を過ごしていきたいと考えるようになりました。
2022年12月にインドネシアに派遣されて以降、同僚以外にも身内の死を経験しました。
私の祖父についてお話させてください。
祖父母宅は私の自宅から近く、徒歩10分ほどの距離にあります。私が小さい頃は、毎日学校帰りに祖父母宅に行き、遊んでもらっていました。私とよく柔道ごっこをしていましたが、腕っぷしの強い祖父は私のかける技にびくともせず、私はいつも完敗していました。社会人になってからも週1回は祖父母宅に立ち寄り、お酒を片手に雑談していました。私にとって祖父と過ごす時間は心地良いものでした。
しかし、歳を重ねるとともに体調が悪くなっていき、3年ほど前から祖父は入院生活となりました。
入院から2年が経過したある日、いつ命が尽きてもおかしくないという医師の言葉を家族を通して耳にしました。祖父なら私が協力隊としての任期を終えるまでは何とか頑張ってくれるだろう、と淡い期待を寄せていたのですが、私が派遣されて1ヶ月も経たないうちに、祖父の訃報が届きました。
少しは覚悟していたつもりでしたが、もう生きている祖父の姿を見ることはできないのかと思うとたまらなく悲しくなり、ホームステイ先のベッドで一人隠れて涙を流しました。
しばらくじっとしていると、祖父との思い出が心に浮かんできました。
忘れ物をしたときに、自転車を走らせ届けてくれたこと。お酒を飲みながら、昔話をあれこれと聞かせてくれたこと。私が遠方で一人暮らしをしていた時、新幹線に乗って会いに来てくれたこと。
祖父への感謝の念で胸がいっぱいになりました。
インドネシアに派遣されたばかりの私は日本に帰ることができず、お通夜やお葬式には参加できませんでしたが、祖父が亡くなり9か月が経過した2023年10月に私は一時帰国を果たしました。真っ先に祖父の遺影に手を合わせ、インドネシアで頑張っていることを報告すると、写真の中の祖父は以前のように優しい笑顔で私を迎え入れてくれました。
以上が亡くなった同僚と私の祖父について話でした。
協力隊員として長期に渡る海外生活をしていると、嬉しいこと、楽しいことだけではなく、このような悲しいことも経験することになります。私の人生に関わってくれるすべての人に感謝の気持ちを忘れず、任期終了の11月まで頑張っていきます。
それではsampai jumpa lagi!(読み方は ”サンパイ ジュンパラギ” 意味は” またお会いしましょう" )
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