2023/08/07 Mon
政治 生活
# 18 共和国記念日と自由について
任地に配属されてから早くも
1年9か月が経ちました。
。
私が任地へ来る
5か月前に生まれた
同僚の息子さんは最近、
頻繁に「レー (違う)」と
言うようになりました。
。
これは日本でいう
「イヤイヤ期」なのかなと
私は勝手に思っています。
自我が芽生えて主張を始める
大事な時期であると思いますが、
その分なかなか言うことを
聞いてくれない彼への対応で
同僚は少し疲れ気味なようです。
さて、
7月25日は66回目の
共和国記念日。
。
1957年のこの日、
それまで252年続いた
フサイン朝下での
君主制から共和制へ移管され、
初代ブルギバ大統領が
誕生しました。
。
また、この共和国記念日は、
独立のために自らを犠牲にした
すべての殉教者をしのぶ
機会でもあるそうです。
。
このように、共和国記念日は
主権や自由、国民の尊厳を
表す象徴として、
今でもチュニジア人の心に
刻まれているようです。
。
ただ、
そんな歴史的な体制移管から
今日にいたるまで、
チュニジアは経済や政治的に
不安定な状態が続いており、
政府は「自由の担保」と
「混乱への対応」の間で
難しい舵取りを迫られている
と考えられます。
。
そんな中、
2年前の7月25日、
大統領の命令によって
議会の機能が
一時的に凍結されると、
去年の同日には
大統領の強権化が懸念される
内容の新憲法が承認されるなど、
多くの国民の間で不安と緊張が
広がっています。
最近読んだ本の中で、
こんな記述がありました。
。
。
「アメリカのある社会学者が『自由を祝福することはやさしい。それに比べて自由を擁護することは困難である。しかし自由を擁護することに比べて、自由を市民が日々行使することはさらに困難である』といっておりますが(中略)。
自由は置き物のようにそこにあるのではなく、現実の行使によってだけ守られる、いいかえれば日々自由になろうとすることによって、はじめて自由でありうるということなのです。」
(丸山真男『日本の思想』)
。
。
自分たちの自由や権利を守るため
日々奮闘するチュニジア人にとって、
この言葉は強く共感しうるもの
であると思います。
。
ただ私は個人的に、
これを理論として納得できる一方、
コロナ禍で見られたように、
例外的な混乱状態を乗り越えるため
一時的に自由が制限されなければ
ならない場合もあるような気がします。
。
そんな中、
どんな権利や自由が守られるべきで
どのように主張、行使される必要がある
のだろうと漠然と思いを巡らせる
一日でした。
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