2020/01/08 Wed
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出前講座@羽曳野市立峰塚中学校 さわやか No,85
2019.11.22 出前講座@羽曳野市立峰塚中学校
この日は,大阪府の羽曳野市にある峰塚中学校にお邪魔してきました。
全校生徒が800名近くのマンモス校。綺麗な街の中の大きな公園の横に建つ学校。
そんな峰塚中学校は,現在メジャーリーグで活躍するダルビッシュ選手の母校だそうです。
そんな峰塚中学校さんからいただいた今回の講演内容の依頼はこちら。
『講演を聞く1年生に小学4年生時に,アフガニスタンから来た男子生徒がいます。日本での生活も3年目となり,日本語も話せるように少しずつなってはきたのですが,周りの生徒たちと馴染むにはまだ時間がかかりそうな様子です。また,3つの小学校から上がってきた生徒たちなので,彼とは別の小学校から来た生徒にとっては,まだ彼との間に距離があり,コミュニケーションを取るのが難しいように感じます。そこで,海外での生活をし,外国人として生まれ育った国以外のコミュニティーに入り生活をする経験をされた中で,何につまずき,何が嬉しかったかをお話ししてもらえれば...』といった内容でした。
この依頼内容に関しては,私がこの出前講座を通していつかお話できればと思っていた内容でした。というのも,No,84(https://world-diary.jica.go.jp/hirosetakuya/cat1739/2_no84.php)で書かせてもらったように,私自身もこの依頼内容について悩んだ上で,JICAボランティアになろうと志した経緯があったので,自分の経験と合わせてより伝えることができるのではないかと感じていました。
今回の話のテーマに据えたのは“Buenos Aires”。
スペイン語で「良い風・空気」という意味。南米のパリと呼ばれるアルゼンチンの首都のブエノスアイレスも昔,漁師町として栄え,船乗りが望む順風が街の名前になったと言われています。
外国人の受け入れや,外国人に対する接し方はその経験がないとなかなか分からないものです。また,その中でも外国人の気持ちをより理解するには自分も外国人となった経験があるかないかでも大きく変わってくるかと思います。
まず外国人とはどのような定義なのか?生まれた国?育った国?その国の母語以外を話す人のこと?
その定義すら人によって曖昧です。
私もブラジルで暮らし始めた時は言葉が全くわかりませんでした。
派遣前に2ヶ月の語学トレーニングはあったものの,ポルトガル語で「ありがとう」はなんて言うの?と言うレベルからのスタートだったので,現地でブラジルの人々が話すスピード,単語の量に追いつけるわけもなく,スーパーに行くのも億劫になる状態でした。
『片栗粉がほしい。でも,見た目だけじゃもしかすると小麦粉かもしれへん。いや,その前に片栗粉ってポルトガル語でなんて言うんやろ?(辞書で引いて...)あ,なるほど。じゃあそれを探せば良いか。でも,袋を見てもどれが何の名称なのか全く分からん。店員さんに聞こ!って,あぁ店員さんに聞くには“片栗粉”の単語だけでなく,質問するためのフレーズも言わなあかん。あぁ〜。。もういいや。片栗粉なくても...。』とこんな感じ。
レジでもパートのおばさんが優しく話しかけてくれるのですが,全くそれを理解できずにウンウンと訳もわからず相づちを打つだけしかできない歯痒さと,おばさんに対する申し訳なさに溢れました。
そんな生活に心が折れそうにも。
仲間との飲み会の席やパーティー等の集まりでも,そうした孤独を感じる機会は多くありました。
周りのみんなはワイワイ盛り上がっている中,全くついていくことができない会話を横に,分かったような作り笑いを顔に浮かべてウンウンとうなずいては,みんなが笑うタイミングで一緒に笑ってみたり。楽しい雰囲気はわかるんやけど,『早くこの時間終わってくれへんかな〜』と思っていたこともありました。
「何作り笑いしてんねん!もっと会話に入ってこいよ。しょーもない。その簡単なフレーズぐらい覚えーや!」と言われてもしゃーない。ほんまもっとわかるように勉強せなあかんわ。。。と思っていました。
そんな時,本当に上に書いたようなことをそこに居た人1人にでも言われていたら,きっと立ち直れなくなるほどのダメージを受けていたことでしょう。ポルトガル語に対しても,ブラジルに対しても最悪なイメージを持ったままリタイアして,そそくさと日本に帰ってきていたことだと思います。
しかし,ブラジルの友だちは違いました。
「ポルトガル語難しいよね!ごめんね。分からない話を延々と早口で喋ってしまって。今の話は要は◯◯で▲▲で,ほんでこう言うことについて話しててん!分からない言葉があったら,話止めてくれてもいいから質問してね!」と言ってくれました。
そう声をかけてくれた人だけじゃなく,他の友だちも「ごめんごめん!もっとゆっくり喋るな!」と,ものすごく気遣ってくれました。
この優しさにいつまでも甘えてたらあかん!と,時間があれば単語を覚え,今まで中々足が進まなかったスーパーや市場への外出を心がけ,なるべく生きた会話をする機会を作るようにしました。ついには,ブラジルの人に混じってジムに通ったり,ポルトガル語オンリーの先生からサックスを習ったり,行動範囲を広げました。
ここまでやろうと思えたのも,頑張ろうと思えるきっかけをくれた友だちのみんなのおかげ。
そして耳もだんだん慣れて,少しずつ言いたいことも言えるようになってきた時,これまでで一番言われて嬉しかった言葉をかけてくれました。
『言ってることも雰囲気ももうブラジル人やな!!!』
もうこれがとにかく嬉しかった。
何が嬉しかったって,自分の話す言葉を受け入れてくれたのもそうだし,ブラジル文化にも受け入れられた気がして“ここで生きていてもいいんやな”という気持ちになりました。
「日本人だから。日本人だけど。といったそんな◯◯人とかのフレームを取っ払っちゃおうよ!もうあなたはここでこれだけぼくらと一緒のレベルで過ごしてるんだからブラジル人やよ!」のこの言葉。ハッとして,心にグッときました。今までの自分の考え方がガラッと変わった瞬間でした。
私がブラジルで生きていく上で,ブラジル文化に認められたい・受け入れられたい。と思ったように,日本に住む外国から来られた方々も絶対そう思っているはず。
特に日本文化は,言葉ではなく態度や空気で汲み取らないといけない,世界の中でも難しい文化だと思います。その中で,あなたはここにいていいんですよ!と受け入れてもらうには相当のハードルを超えなければなりません。私たち日本人が外国文化に馴染むよりも相当の努力が必要だと思うんです。
何も,無理に友だち全員と仲良くなりなさい!とは言わないし,できなくて困ってる友だちに対して全部ハイハイと手伝う必要はない。でも,ふとした時に「あ!困ってるな」と感じたら,「大丈夫?」「困ってない?」と一言だけかけることで,相手はものすごく嬉しいよ!
『そんな最高に良い空気が廊下に流れる学年ができたら最高やね!みんなBuenos Aires流していこうよ!』
こう言った時,授業終了のチャイムがぴったり鳴りました。
講義を終えた後,今回参加してくれた生徒のみなさんから感想をいただきました。
「今日の話を聞いて,クラスの友だちとももっと仲良くしようと思いました!」「私たちの学年にも1人,外国から来た子がいます。今まで話したことはありませんが,もしかすると廣瀬さんの最初のように,困ってることもたくさんあるだろな〜と思いました。今度廊下ですれ違ったら話しかけてみようと思います。」「Buenos Aires流します!見ててください!」と書いてくれていました。
また,当のアフガニスタンから来た生徒も,これまではこうした感想文を書いて提出したことはなかったそうなのですが,今回に関しては「書きたい!」と担任の先生に伝えて,「この文字の書き方教えてください」と一生懸命自分の手で書いてくれました。これには担任の先生も『こんなの初めてです!とっても嬉しいですー!』とおっしゃってくださいました。
これから増えてくる外国籍の児童・生徒。その子どもたちが1日の大半を過ごす学校が,過ごしやすく大好きな場所になってくれることを願います!!
日本中に良い空気が流れる場所が増えますように!!
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