2019/10/07 Mon
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【ボランティア活動記】帰国報告会 報告内容 No,78
ブラジルから日本に帰る約1ヶ月前に,ブラジルの全ての活動を締める『帰国報告会』が行われました。
2017年の7月から同じ時期にブラジルで活動をやりきった,同期20名の活動がどんな様子だったのかもよく分かる場。
中間報告会の内容もNo,22にまとめていたので,帰国報告会の内容もせっかくなので,ここに記録として残しておこうと思います。
【目次】
1.はじめに
2.指導する上で大切にしたこと
3.指導上の苦悩
4.これからの人生
1.はじめに
そもそも,私がJICAに応募した理由はなんだったのか。
私は大学を卒業するまで,野球一筋の人生でした。身体は小さく,長打を打つタイプではなかったので得意技はバント。走者が3塁にいる打席では,ほぼ100%の確率でスクイズのサインが出る。と,いうぐらいバント・バントな野球人生でした。まぁ,見栄えはしませんが,チームの勝利のためにチャンスを広げ,次の打者へ繋ぐという重要な役割でもあるので,私はそのポジションを気に入っていました。
そんな野球人生を大学まで過ごし,卒業後は高校生の時に見つけた夢である,教師の道に進むことになりました。
大阪府の中学校で社会科の教師として4年間勤めました。
JICAについては,大学の頃に電車の中吊り広告を見た時から気になる存在だったのですが,いざ仕事を始めてみると楽しくて楽しくて。いつか外国でチャレンジしたいな〜と頭の片隅でその想いは常にあったのですが,目の前の子どもたちとの毎日に充実した日々を送っていました。
しかし,4年目に自分を変える出来事が起こりました。その年,初めて担任を持たせてもらうことになりました。小学校から上がってきたばかりの1年生の担任。こちらも初めてですが,子どもたちも人生初めての中学校生活。一緒に楽しい1年間を作れたらなと気合満々だったのを今でも覚えています。
初めて持たせてもらったクラスの中に一人のネパール人の男の子がいました。この子がぼくの人生を変えてくれました。
彼は,当時まだ日本に引っ越してきて半年ほど。それまではネパールに住んでいたため,話す言語はもちろん彼の母語であるネパール語。そして,ネパールの学校で受けてきた英語とこの2つで,日本語については,まだまだ話せるレベルではありませんでした。
私はそんな彼に対して,日本語で話しかけることしかできません。なにせそれまでの人生で,根詰めて励んできたのは“バント”。ネパール語はともかく,恥ずかしながら英語もろくに話すことができませんでした。
『彼のために何もできない』
この想いがグルグルと自分を攻め続けます。クラスの副担任の先生に英語の担当の先生を配置してもらい,何とか彼のサポートをしていただきました。
自分は彼のためにほとんど力になれない。このままでは彼がしんどい想いをしながら毎日過ごさなければならない。自分の無力さを感じつつも,毎日が進んでいく中で立ち止まっていることはできません。そこで,クラスの子どもたちに助けを求めることにしました。
『みんなで過ごしやすいクラスを作りたい!もちろんアユース(ネパール人の彼)も含めてね!』
そういうと柔軟な子どもたちは,「先生,今日は昼休みアユースも一緒にドッヂボールするねん!」「アユースに新しい日本語教えたで!」と,子ども同士が繋がり始め,彼の周りにも笑顔がどんどん増えていきました。
この子どもたちの和を生み出すデザイン力に『子どもの力はすごい!』ということを強く感じました。
いくら教壇に立っていても,教えられるのはいつも子どもの方から。彼をサポートする周りの子どもたちはもちろん,異文化・異言語の中でどんどん馴染んでいく彼の力に本当に驚かされ続ける毎日でした。
でも,彼が毎日楽しそうにしているかといえばそうでもない。時々,悲しそうな顔をするんです。
この先も教育に携わっていきたい。今後,このように外国にルーツを持つ子どもたちが日本で生活する例が多くなってくるはず。そんな時,自らが外国人となった経験があれば,そのような環境に置かれた子どもたちが異文化社会で生活する上で,何が嬉しくて,何につまずいてしまうのかわかることができるはず。その経験を持った上で子どもと関われば,少しでも彼らの力になれるのではないかと考えるようになりました。この考えに至ったことが,あのタイミングでJICAに本気で志望した理由です。
そんな想いを抱き一歩踏み出した結果,幸いブラジル行きのチャンスをいただけることになりました。
ブラジルでは,自分が外国人として生き,何を考えるようになるかを知る。4年間日本の教育現場で培ってきた力を実践してみる。そして,2年間の生活の中で“教育とは何か”を学ぶ。というこのような目標をもち,ブラジルでの生活を始めました。
2.指導する上で大切にしたこと
~教えるを教わる~
子どもの気持ちを知る・教育を学ぶには何が必要かと考えた時,自分が教わる体験をすることでより,気持ちがわかるのではないかという結論に至りました。
活動がない時間,フリーな時間を有意義に使おうということで,ダンス・スポーツジムに通い,また英語とサックスを習うことにしました。
この習い事を通して,
◎どのような声かけが子どもに伝わるのか
◎どのような言葉が心に響くのか
◎どのような働きかけが気持ちを動かすのか
+ ◎場面ごとに効果的なポルトガル語を知るため に“教える”を教わることにしました。
これが自分の中で非常に効果的で,教える立場で数年過ごしていた自分にとって,教わることでたくさんの発見や大切な価値観に出会うことができました。
~野球の指導の中で~
また,野球の指導の中でも大切にしたことがあります。
◎子どもが主役を徹底
◎子どもの自己肯定感を上げる
この2点を大事にしました。
【子どもが主役を徹底】
どういうことかというと,トップダウンの指導は初めから捨て,子どもたちが主体となる形を作りました。
私が伝えたいこと・押さえておきたいことは,初めにオリエンテーションやミーティングで要点を子どもたちに説明し,どのように動けば良いのか見本となる行動を見せます。あとはそのビジョンにより近づくために,子どもたちが自ら動くのを待ちます。そこに怒鳴り声と威圧はいらない。違った方向に行きかけたら,気付かれないように軌道修正。あくまでも黒子の立ち位置を務めました。
キャプテン・練習メニュー・試合におけるスターティングメンバー等,全てを子どもたちに任せました。最初にビジョンを伝えているので,子どもに任せたとしても,私の考えとさほどズレは生じませんでした。逆に,自分では気づくことのない,子どもならではの発想に“なるほど!その方法があったか!”と勉強させてもらう機会がたくさんありました。
【子どもの自己肯定感を上げる】
この言葉は,教育現場にいるとよく聞きます。しかし,どのように子どもの自己肯定感を高めるのか?
私は,『褒める機会を多く作り,やってみることの楽しさを伝える』ことができれば,自然と子どもは“嬉しい気持ち,やってみてよかったと思える気持ち”になるのではないかと考えます。
そこで,普段の練習から選手同士でレクチャーをさせ合ったり,選手が練習を先導する形にし,前に出て動く子のことを『先生』と呼びました。
『エミリー先生 Bom trabalho!!(よくやった!)』『ルーカス先生!やるやん!説明うまいやん!』とよいしょすると,子どもたちも嬉しそうにどんどん前に出ようとします。
上手いこと脳をだましてあげるんです。「自分にはできない」「こんなん無理や」と思ってる子も,『先生!』と呼ばれることで,「え?これでもできてるん?よっしゃ,なんとかできそうやん!」とハードルを下げてあげることで,自己肯定感を高めることができます。
“人のために役立てる人には必ず見返りが返ってくる”=因果応報も指導を通して伝えたいと私は常に思っています。
どういうことか。チームのために人の前に立ちチャレンジした子は月末に結果として現れます。というのも,私のチームでは“この1ヶ月間,チームの中でよりチームのために貢献した人は誰ですか?”とアンケートを全選手に取り,そこで得票数が多かった選手が,月間MVPとなり翌月のチームのキャプテンになります。「野球が上手い」や「試合で打った」というのは選考対象外。あくまでも,人間性・行動でチームへの貢献度を見て投票するように選手には伝えています。
チームの中で重要な役割を任せてもらうことができるというのは,より子ども自身の自信の向上に繋がります。
こうして役職を与えることで,また他の選手の良いところを見つけられるようになることで,個が強くなり,個が強くなった選手が一人・二人と増えることで,チーム力が上がるのです。
こうして,『成功すればヒーロー,失敗してもチャレンジャーやで』と子どもに伝えながら,挑戦しやすい環境作りと子ども同士の繋がりをデザインしました。
そうした繋がりは,子ども同士だけでなく日本の子どもとも。
3月に実行した,日本遠征でそれを実現させました。
自分たちの夢を叶えるために,イベント等では子どもたちも率先して働きました。そうした努力もあり,日本のたくさんの方との交流が実現し,海を越えた“繋がり”ができました。
私にとっても,彼らにとっても人生の中でかけがえのない経験をさせていただきました。
3.活動上の苦悩
そうした活動の裏で,苦悩もたくさんありました。
言葉の苦労はもちろん山ほど。指導においても,日本遠征の計画時においても言いたいことが伝わらない。伝わったと思ったことも,実際は全く通じていなかったということも多々ありました。
これに関しては,数えだすとキリがないですね。
それ以外には,グラウンド外で起こった問題に頭を悩ませることが多かったように思います。
グラウンド外=大人の問題。指導者問題,保護者問題です。
指導者間の問題としては,
◎チーム指導者の急なロンドンへの引っ越し
◎チーム指導者の保護者からのクビ宣言
◎今年5月 監督後任候補のチーム脱退 等がありました。
私の2年間のグラウンドでの指導は,基本的に一人でした。と,いうのも補助をしてくださるコーチもいたのですが,上記の通り「さぁ一緒にチームを作ろう!」と手を取り合った指導者はいろんな事情でチームを離れていき,固定のコーチはいませんでした。そんな中で付いてきてくれた選手の子どもたちには本当に感謝です。
また,保護者間でも問題が。
各家庭,抱える問題は様々でお互いに譲れないこともたくさんある様子でした。もちろん,これはどこの国でもどのコミュニティでも起こり得る話なのですが,私が過ごした2年間では子どものトラブルよりも保護者同士の大人のトラブルの方が圧倒的に多かったように思います。
指導者の問題にしろ,保護者の問題にしろ,子どもはそうした大人の問題にとても敏感なので,そのケアの仕方もとても鍛えられたかなと思います。
まぁ言ってしまえば,上に書いた指導者・保護者の問題は,結局はコミュニケーション不足が原因でした。
普段,子ども同士はグラウンド上で繋がりを持って,一つのビジョンに対し,同じ方向を向いて歩を進めていたのに対し,コーチと配属先,親同士はそこまでのデザインができていなかったということ。
ここに関しては,監督という立場で関わらせていた身として,とても大きな反省点です。
ですが,こうしたことに気づいたのも,これまで子どもと関わる仕事をさせてもらい,“繋がりが作る力のすごさ”を実感したからこそ。
子どもから教えられて今がある。それに尽きます。
4.これからの人生
~送りバントをし続ける~
ブラジルの2年間は,本当にたくさんの方と繋がることができました。
地球の真裏に“いつでも帰ってきたらいいよ”と言ってくれる家族や仲間ができ,辛い時に思い出せば“ハッピーな気持ちに立ち返ることができる”最高の思い出ができました。
この人生の繋がりを大切にしながら,日本に帰国後も,教育に携わり続けたいと思っています。
それが日本国内なのか,国外なのか。それはまだ分かりません。ただ,常に自分の心が動く方に舵を切り人と人を繋げる活動,人と夢や目標を繋ぐ人間になりたいなと思っています。
そのためにも,自らのスキルアップが必要。なので,旅に出たり新たな分野の勉強をしたり,常に学び続けたいと思っています。
その様子や結果が人に夢を与え,“面白そうな人生やな!おれにも私にもできるかも!”と思ってもらえたら最高です。
バントしかしてこなかった野球人生ですが,結局ぼくは送りバント。これから出会う様々な人に“送りバント”をし続けて,その人と共に人生のチャンスを広げる活動をしていきたいと思います!
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