2020/02/06 Thu
文化
その24:MajuroとMAWCの昔と今


2月となり、私の任期もあと2ヶ月となりました。ここでMajuroと私の職場(Majuro環礁ゴミ公社;MAWC)の昔と今を振り返り、そして今後を想像することも悪くはないと思います。
冒頭の写真は25年前のMajuroでのスナップ写真です。日用品の紙皿を利用しての凧揚げ。身近にあるものを何でも遊び道具に利用するというスタイルは今のマーシャルとあまり変わっていないようです。
今回、Majuro在住37年になる日用品小売店 の日本人支配人であるYさんにヒアリングさせていただきました。また貴重な昔の写真もご提供いただきました。


#01 Majuroの昔と今
まずはじめにMajuroの昔と今を見比べてみましょう。左の写真は今から36年前のMajuroの街の様子です。背景は日本人が経営していたホテルです。右は同じ地点から撮影した現在の写真です。現在は南太平洋大学(University of the South Pacific)のキャンパスとなっています。また、当時は車の台数が現在に比べて圧倒的に少なく、バイクでも安全かつ短時間で移動ができたそうです。変化はほとんどないと思っていたマーシャルですが、首都Majuroということもあり、やはり40年近い歳月の流れはそれなりにMajuroの景色を変化させているようです。


#02 MAWC 設立の前と後
Yさんに一番お聞きしたかったのが、上記の地図です。つまり、MAWC設立前後の様子をぜひともお聞きしたいと思いました。
これによると、MAWCが2007年に設立されるまでの少なくとも30年間は公共のゴミ捨て場が設置されて(図中の1st Site 〜 3rd Site)、そこに住民であれば誰でも何でもゴミを投棄することができたそうです。単なるゴミ捨て場ですので、当然分別やリサイクルという概念はなく、ただゴミを埋め立てていくだけ。当時は悪臭もひどかったそうです。そして、満杯になれば次のゴミ捨て場に移っていくということを繰り返していたようです。
それでも、時間の経過とともにゴミで満杯になったゴミ捨て場は安定化していき、現在では簡素な住宅用地、あるいは料理店等の商業施設用地として活用されています。私もこのことを知らなければ、いつも通り過ぎているこの土地がゴミでできているという事には気付くことがなかったと思います。逆の立場から見れば、マーシャルの人にとってゴミ捨て場というのは将来の土地づくりだという感覚なのかも知れませんね。
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