2017/11/20 Mon
"もしも神が望むのならば"
こんにちは。あゆみです。
今回は、パナマの日常会話にみえるキリスト教文化についてお話します。
パナマ人の大多数はキリスト教徒です。
個人によって信仰の深さはさまざまですが 、わたしのカウンターパートも、ホストファミリーも、ほとんどの友人も、キリスト教を信仰しています。
そんな彼らと話していると、”Dios(神)”という言葉を耳にすることが少なくありません。
・”Dios mío”
英語でいう”Oh my God”みたいな感じです。びっくりした時や、なにかやらかしてしまった時に使います。
・“Si Dios quiere”
直訳すると、”もしも神が望むのならば”と、いう意味です。例えば、
「Nos vemos a las tres de la tarde. Hasta luego.(午後3時に会いましょう。では。)」
「Si, si Dios quiere. Chao.(えぇ、もしも神が望むのならば。では。)」
と、いう感じです。最初に耳にした時は,「わたしと会いたくないから、これは神にまかせた言い訳なのかな?」とも思いましたが、パナマのキリスト教文化を踏まていれば、こんな表現も納得です。パナマ人がよく待ち合わせに遅れるのも、きっと神のいたずらです。
・”Bendiciones, vaya con Dios”
直訳すると、”幸運を、神とともに行け”と、いう意味です。まるで冒険に旅立つような仰々しい表現ですが、日本で言う”いってらっしゃい”のようなの意で使われます。毎朝、家を出る時にはジーナおばあちゃんが近所中に響き渡るような声で、わたしに向かって叫んでくれます。
日常会話に潜む”Dios”
何気ない言葉ですが、いかにパナマの人々の生活にキリスト教文化が浸透しているかという、ひとつの指標でもあると思います。
日本人のわたしにとっては、とても新鮮な言葉に感じました。
Ayu
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