JICA海外協力隊の世界日記

エクアドルBOSAI日記

任地での地震発生(防災について考える)

これまでは防災隊員としての活動記録のように駆け足で書いてきましたが、今回からは一つ一つの活動や生活に焦点を当てて、少しゆるやかに日記を書いていきたいと思います。

(写真1枚目:避難場所になっている高台から見たサリーナス市街地全景。半島になっているため、両方向から津波が襲来する可能性がある。ビーチ沿いには高層マンションとホテルが立ち並ぶ)

2019年3月31日午前2時頃、任地サリーナス近くを震源とする最大でM6.3の地震が発生しました。

再び体調不良で寝込んでいた土曜日の夜中に揺れが始まり、パーティをしていた家主たちは大慌てで車で避難していきました。

一度の揺れで終わらなかったので、久しぶりに東北在住時代に経験した津波注意報発令時の感覚を思い出し鳥肌が立ちぞっとしました。幸いにもエクアドル海洋学研究所や地理学研究所が10分ほどで津波警報の発令はなしと発表したので少し安心しましたが、何人かのエクアドル人から次々と地震と津波に対する不安なメールや電話を受け取り、整理した情報を説明しつつ明け方頃に就寝しました。

なにはともあれこの日を境に任地サリーナスでは津波に対する住民の不安感が一気に跳ね上がり、所属先の危機管理部でも市内の各コミュニティを対象に毎日夜20時頃から防災研修を始めました。

運営側は準備など大変なのですが、来てくださる住民の方がそれは真剣そのもので、多くの質問を投げかけ、市側の防災対策に疑問や不満を持っておられる方も見られました。当地では津波警報が発令されない場合、SATと呼ばれる早期津波警報装置が作動しないので、安全であることを知らせる日本でいう地域防災無線のような仕組みが必要であるのではという声もあがりました。

今回のように地震による被害が少なくネットや電話を介してそうした情報を得られるならばよいですが、実際の大災害時には電線が不通になるため食料・水・懐中電灯やラジオ等の自主的な備えが必要となります。(いわゆる「非常用持ち出し袋」)

そして何よりも、「お金のかけない防災」が当地では不可欠です。

私は、東日本大震災の被災地で防潮堤や避難道路を新たに整備するための、いわゆる「ハード整備」に携わっていました。未来の子どもたち世代にとって安心安全の街づくりを進めるという大切な事業だったのですが、一方で面整備にかかる被災した土地の売却や移転に携わっていると、数百人いる地権者の方が経験された、目を背けることの出来ない被災時の出来事と向き合わねばなりませんでした。

「もっとこうすればよかった」「同じ被害を繰り返さないためにはこうすべきだ」等々、日々お話を聞く一人一人のご経験には、体験して知覚した「言葉」に深い思いと学ぶべき教訓がありました。

そうした被災地での経験で私が強く感じたのは、何よりもまず「今後の防災」にかかる視点を持つこと、そしてその考えを一人でも多くの人に共有し、伝えていくことの大切さでした。

特にボランティアである私がここエクアドルで出来ることというのは、お金のかかるハード整備に頼った防災ではありません。残念ながら、私には津波避難タワーも、避難階段も設置する力も財力もありません。高台のほぼないサリーナスでどうやってどこに逃げるのかと不安が多い中、新しい建物が整備されたら避難ビルとして作ってほしいと願って伝えることしかできません。

(写真2枚目:エクアドルの大陸最西端のポイントであるチョコラテーラから海を臨む。ここから60Km先に海溝プレートがあり、大地震が発生すると最短16分で津波が到達すると予測されている)

こちらに来てからも何度も「日本からの金銭的援助がほしい」という言葉を聞きました。しかし、私は残念ながらそれは誤った支援の方向性だと思っています。

哲学・思想・習慣・文化の異なる場所で、彼らの文化的背景を理解することなしに高度な機械や技術を提供するだけでは先に繋がるそれ以上の発展がないように思います。

それはまるで、最新鋭の携帯電話を持っているけれど使い方が分からず乱暴に扱って結局すぐに壊してしまったり、綺麗な建物は建っているけれど一歩街を出ると環境破壊に繋がるゴミが溢れて平気でポイ捨てする社会、といった人々の心に備わる社会通念的な部分が欠如した大人が増えるのと同じだと思います。

だからボランティアには何もできないのか?そうは思っていません。

「教育」というお金のかからないソフトパワーの支援を用いて、短期的には決して数字に表れることのない、しかし着実に種を植えた苗がやがて実を結んで花を咲かせるように、たとえすべての花が咲くことがなくても、一輪でも花が咲くことで救われる人もいると信じています。

では具体的には何をするか?

ひたすら防災研修するのみです。防災啓蒙、防災教育を継続し、非常用持ち出し袋の必要性を訴える、日本で起きた災害の被害や教訓を伝えて同じ被害を出さないように訴える、そしてサリーナスで大地震が起きたら最短16分で津波が来るのでアラームが鳴ろうがなるまいが高い所へ逃げることを訴える。

老若男女問わず、必要があれば同僚といつ何時でもただこれだけのことを口酸っぱく1年半語り続けています。

それが、実際に大災害が起こった時に、一人でも多くの方の命を救うきっかけとなればと願うばかりです。

(写真3枚目:2019年4月に行ったサリーナス市内のコミュニティでの防災研修)

¡Hasta Luego! (アスタ・ルエゴ)それではまた。

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