2022/06/22 Wed
人 生活
感謝できる人になる
感謝できる人になる
誕生日は祝ってもらうのを楽しみに待つ日でしたが、25歳の誕生日はそのような気持ちで迎えることはありませんでした。
25歳は周囲の人に感謝を伝える誕生日にしようと思っています。
25歳は自分でも節目のように思っています。
大学卒業するタイミングで自分の中で決めた、「30歳までは失敗しても挑戦する。」まで残り5年になったのも関係しています。
不思議ですが、楽しみに待つ誕生日は、自分にとって嬉しいことしかありません。
しかし、周囲の人に感謝する誕生日は嬉しいようで、悲しい気持ちになります。
何故なら、自分に残されているさまざまな時間軸が終わりに近づいている現実を実感するからです。
JICA世界日記を書くことを決めた目的は大きく分けると3つあります。
今日の日記はその中の目的の1つでもある、親族や今まで関わってきた人への恩返しの意味が込められています。
恩返しはするものではなく、自然にできているものが理想ですが、今日は烏滸がましくも、恩返しの気持ちで日記を書かせていただきます。
マダガスカル生活9ヶ月で感じたこと、体験した日常生活を交えて書き進めます。
読者の方を置いていくような内容になりますが、今回はご了承いただけると幸いです。
そして、何かの偶然、キッカケ、運命で私の日記を読んでいる貴方も、読み終えた時に、自然と感謝の気持ちや、恩返しの気持ちを伝えたくなる日記を書きたいと思います。
一人一人家庭環境は異なりますが、普段照れ臭き気持ちで言えないことを伝える口実に、この日記を使ってください。
私は会いたくても、すぐに会えない距離間で生活しています。今1番会いたいのは家族です。家族が大好きです。生まれ変わってもまたこの家族のもとに生まれてきたいと思っています。
内面の美しさは、お金で買うことが難しい。
外見や持ち物、車、居住空間は全てお金で購入することができます。
纏めると、外見は、お金で購入し、入手、交換が可能だと言えます。
大学3年生で東南アジアに行ったとき感じた不思議な美しさの正体は、家族や人々の繋がりだったと最近になって気づきました。
当時、僕は日本からの往復航空券だけを購入し、約1ヶ月間東南アジアを一人で放浪しました。旅の目的は、大学3年生までの約20年間生きて、自分1人の決断で行動した機会や経験が思い当たらず、何か自分の殻を破ってみたいと思ったことが、きっかけでした。
それを機に始まったこと、終わったこともたくさんあります。
そんな一人の孤独な時間の中で、感じた不思議な美しさを当時は、うまく言語化できませんでした。今生活しているマダガスカルで同じような光景を目にし、同じようなことを感じる日々の中で、ようやく大学3年生の時に感じたことの答え合わせができるようになりました。
「お金があることが全てでは無い。」と思える光景。
「結局お金が無いと、何も解決できない事実。」と向き合って見えてきた、お金があっても入手することも、交換することもできない美しさもあると思える希望。
25歳の社会人経験がほとんどない僕だから言える綺麗事、ということも知っています。
それでもマダガスカルでの光景も東南アジアでの光景も、このような綺麗事を正当化してくれる瞬間があります。
両親が共働きの為、兄弟で協力して子守をし、支え合い生きて行かなければならない環境。
もちろんお金があり、仕事があれば共働きの必要もなくなり、お兄ちゃん、お姉ちゃんが子守りをする必要もなくなり、希望通りに学校に行くことが可能になります。
それにより教育を受けることができ、負の連鎖から抜け出すことが可能になるでしょう。
でもその未来を考える前にまずは目の前の美しい光景に目を向けてはいけませんか?
子どもでも兄弟で支え合っている姿も、上が下を守ろうとする真剣な眼差しも姿勢もそこに大人、子どもの境界線は存在していません。家族で電気も水道もない小さな家で仲良く生きている光景も、楽しそうに食卓を囲んでいる光景も美しいと思ってはいけませんか?
何もかもが簡単に手に入る様な世の中、環境で25年間生きてきた僕にはこの光景が少し羨ましく思う時もあります。こんなこと言うべきではないこともわかっていますが言わせてもらいます。
何もかも手に入る様な環境で生きている僕は、人間が最も生きていく上で必要な内面から出る美しさから遠ざかっているのではないでしょうか?
正直言うと僕は、外見や周りの評価を気にしているタイプの人間です。
お金が大切。
結局お金がないと生きていけない。
綺麗事が嫌いな人間です。
それを自覚しているからこそ、2年間、開発途上国で仕事、生活して、実際に体験して、経験して、もう一度考え直したいと思ってここに来ました。
まだ自分の中では答えが見つかってないことの方が圧倒的に多いです。
それでもまだ1年あるのでひたむきに向き合っていきます。
この行為を素晴らしいと思うのが僕の弱さなのかもしれません。
善良な行為と、善良ではない行為を分けるのは自分の価値観ですよね。
25年間生きてきて、思い返せば、私の周りにはいつも私を助けてくれる人や、支えてくれる優しさばかりでした。
それを実感することが、私にとってネガティブになる時もありました。
なぜなら、私はその優しさに応えることも、それを返す事も得意ではないからです。
それを知っている私は、1人で生きていける力が欲しくなりました。
1人で何かしようとすればするほど、それに逆らうように、1人ではできない現実を突きつけられ、そして助けてくれる優しさが、現れるのです。
私は気づきました。
求めていないからこそ自然に手に入れることができているのです。
それでも、25歳の誕生日を機に、これからは、周りの人や環境に主体的に感謝の姿勢を示してみようと思います。
そして、2年間のボランティア活動が終わったら、自分の口から直接親族に感謝の気持ちを伝えに行こうと思います。
それができるように、恥ずかしくない生活やボランティア活動をマダガスカルで送っていきます。
マダガスカルの学校はこの時期から長期の休みに入ります。
それと連動して、僕の学校での活動もありません。
学校がないからこそできることを探して、少しでも生活している村に恩返しができるボランティア活動を送っていきたいです。
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