JICA海外協力隊の世界日記

みんなあのねのセネガル便り

みんなあのね、「海へ」

ンブールは、漁業の盛んな活気ある街である。

街の中心には大きなモスクがあり、

国道には背の高い街路樹が植えられている。

早朝の魚市場の風景は圧巻の一言で、

海岸は、漁師と地元住民と魚で埋め尽くされる。

ピローグというカラフルな小さな漁船もたくさん海に浮かび、

毎日がお祭り騒ぎだ。

1Kgいくら?」

「もっとまけてよ」

「これ以上は安くできないよ」

海岸のあちらこちらで、

値引き合戦が行われている。

魚市場をあとにして、朝のさわやかな空気の中で散歩をしていると、

懐かしいにおいがしてくる。

においのする方へ行くと、そこでは七厘で獲れたての魚を焼いていた。

日本の食卓の定番、アジの開きを思い出した。

漁師だという若い男性3人が七厘を囲みながら談笑し、

魚が焼けるのを待っていた。

彼らは朝ごはんにするのだと言った。

 

私のンブール訪問理由は、

タリベ支援センターと乳幼児・児童保護施設の視察である。

 私のタリベを対象にした活動は、

 以前紹介したときの記事をご覧ください。

 →http://world-diary.jica.go.jp/nishimura/activity/post_25.php

タリベ支援センターは3度目の訪問で、

意見交換をしたり、活動を見学させて頂いたり、

昨今のタリベの現状について教えて頂いたり、

タリベたちと遊ばせて頂いたりしている。

折り紙をしたり紙ヒコーキを飛ばしたり、

外で鬼ごっこをしたり、

(と言っても、鬼はずっと私で、

 私が子どもたち全員をタッチしたら終わる)

いつも楽しい時間を過ごさせて頂いている。

3度目の訪問となると、

名前を憶えていてくれるタリベたちもいる。

名前といえば、セネガルでは、

海外から来た人でもセネガルでの名前を持っていることが多く、

自然な会話の流れでセネガルでの名前を尋ねられる。

私は現地語語学訓練中のホームステイ先の家族に名前をもらったが、

セネガルを旅行中の人は、

乗り合いタクシーに乗り合わせた見ず知らずの人や

市場で野菜や果物を売っているおじさんやおばさん、

道すがら挨拶した地域の人など、

突然、名前をもらうことも多い。

私のセネガルでの名前は、ジビ。

子どもたちもみんな、私をジビと呼ぶ。

乳幼児・児童保護施設は、今回が初めての訪問で、

乳児院、孤児院、児童養護施設などの機能が集まっているところで、

0歳から18歳までの子どもたちがそこで生活をしていた。

スタッフは、セネガル人やセネガルの近隣諸国の人、

またボランティアで欧米諸国から来ている人もいた。

普段の生活でセネガル人と会話をするときは、

主に現地語であるウォロフ語で会話をするけれど、

こうして他国の人も会話に入ってくると、

フランス語で会話をすることになる。

私は、1歳児の授乳補助を手伝わせていただいたのであるが、

「哺乳びん」「オムツ」など普段使わない単語が全く聞き取れず、

「それ」などの指示語に助けられながら、

なんとか手伝うことができた。

幼稚園の子どもたちとの年の差が

23年と少しなのに、

1歳児の小ささが何とも言えないくらい愛らしく、

また幼稚園の子どもたちの成長がうれしく感じた。

幼稚園が長い長い夏休みに入ってからは、

タリベを対象にした活動のみになり、

時間に余裕ができてうれしく思っていたけれど、

子どもたちに会いたいなぁとさみしくなってしまった。

さみしくなってきたところで、

ンブールをあとにすることにした。

ンブールを出て向かったのは、ジョアールという町で、

ファジューという島を訪れたかったからである。

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