2017/07/04 Tue
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みんなあのね、「ただいま」
6月26日の午後、セネガルのダカールから飛行機に乗り、
2日間かけて日本へ帰ってきた。
青年海外協力隊としての任期満了。
あっという間の2年間。
幸せな日々だった2年間。
毎日セネガルを思い出すということはないと思うけれど、
一生忘れないかけがえのない2年間。
「あなたのおかげで2年間がんばることができた。」
と伝えたいたくさんの「あなた」に出会えた。
本当にありがとう、あなたのおかげで、
こうして笑顔で日本に帰ってくることができました。
あなたがいたから、
辛いとき、苦しいとき、任期を短縮しようと思ったとき、
もうどうでもいいやと投げ出してしまおうと思ったとき、
自分にできることはないかと踏ん張ることができた。
うれしいことに出会ったとき、心が動いたとき、
あなたとその喜びや感動を分かち合いと思った。
きれいごとばかりでない青年海外協力隊としての暮らし。
すべてがうまくいくわけではないセネガルでの日々。
ハッピーエンドにならないこともたくさんあったけれど、
それらすべてを含めて、
私はセネガルに青年海外協力隊として派遣して頂き、
心からよかったと思う。
感謝の気持ちでいっぱいで、
どのようにしてお礼を伝えられるだろうかと考えている。
私は、6月20日(火)に首都ダカールへ上がることになっていた。
その前の週、16日(金)まで活動があり、
任地サンルイを離れる前は、少しドタバタしてしまった。
お世話になった人に挨拶をしに行ったり、
お別れ会を開いていただいたり、
大好きなサンルイの町を歩いて写真を撮ったり、
気が付けば、ダカール行きの車に乗っていた。
「バ、バ、バ」
帰国前の挨拶のときに、たくさんの人にかけてもらった言葉のひとつ。
バは私のセネガルでの苗字である。
セネガルでは、挨拶のとき、
握手をしながら相手方の苗字を3回繰り返すことで、
相手への敬意や信頼を伝える。
活動先の同僚や地域の人々に「バ、バ、バ」と
声をかけて頂けたことが嬉しかった。
私も握手をしながら相手の苗字を3回繰り返した。
2年間お世話になった方々へ尊敬する気持ちを込めて。
そして、左手で握手をした。
セネガルで挨拶をするとき、握手をすることは自然なことである。
しかし、普段は右手で挨拶をする。
別れるときに、右手でなく、左手で握手をする。
私が左手を差し出すと「右手で握手してよ」と言うセネガル人もいたが、
いつ戻って来られるかわからないし、
もう会えない可能性も高いと思って、
さようならの挨拶と感謝の気持ちを込めて、左手で挨拶をした。
自然と涙がこみあげてきた。
アフリカ大陸の最西端に位置するセネガルと、
アジアの島国、日本は、とても遠い。
怒る、怒る(いかる)、腹が立つ、頭にくる、キレる。
怒る表現はたくさんあるのに、
涙がこみ上げるこの気持ちを伝える言葉は、
なかなか見つからない。
2年間、セネガルから1歩も出ずにいた私。
久々の日本についたとき、成田空港では雨が降っていた。
しとしとの雨、むしむしした空気。
「あぁ、日本に帰ってきた」と思った。
そのとき、ふと1人のタリベを思い出した。
その子は、私の開くアトリエに来ていた子どもで、
活動が2年目に差し掛かるころ、ちょうど雨季の始まりで
雨が降って来たときのこと、
彼は、「今日はターだね」と言った。
その日の雨は、日本の梅雨のようにしとしと降っていて、
雨が降る音をターと表現したのだ。
「そうだね、ターだね」と返したのを思い出した。
成田に着いた瞬間、
セネガルでの日々が急に遠い過去になってしまったようで、
すこし寂しくなった。
子どもたちは、お世話になったセネガルのみんなは
いま、なにをしているだろう。
1週間前は、まだ確実にセネガルにいたのに、
それが嘘のようである。
自宅に戻り、スーツケースを開けると、
セネガルで買った色鮮やかな布や
挨拶のときに頂いたお面のプレゼント、
現地で現像した写真たちが出てきて、
たしかに私はセネガルにいたのだと不思議な気分になった。
私は写真を撮ることが好きで、
多い時は一カ月に1000回シャッターを切ることがあった。
その1枚1枚に思い出がある。
もう帰国した私ですが、
この場をお借りして、もう少しだけ、
「あのね、セネガルでこんなこともあったよ」と
お伝えしたいと思っている、私の見たセネガルを。
まだまだ伝えたいセネガルがある。
セネガル、気に入らないところもあるけれど、
いい国なので、ぜひ。ね。
もう少しだけ、お付き合いください。
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