JICA海外協力隊の世界日記

デリー下町生活

ダラムサラの旅1

 泊まったホテルの屋上。眺めが良くて、ここで食事したり休んだりできます。とても居心地の良いところでした。

 ホテルはダラムサラからバスで20〜30分行ったマクロードガンジという街にあります。インド人の観光客が多く、狭い道を車がたくさん走っていました。そのせいかマクロードガンジ行のバスが渋滞のため途中で降ろされる羽目になり、ホテルまでの2キロの道を歩かなければなりませんでした。坂の多い街なので、けっこう大変でした。

 標高が1700mくらいあるので、長袖シャツを着てちょうどいい感じの涼しさです。夜はホテルの布団一枚だけじゃ寒い感じ。私は寝袋を持ってきたのでぐっすり眠れました。

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 これが6人部屋のドミトリー。熱いシャワーもあるし、トイレにはなんと紙も付いています。居心地のいい屋上に共有スペースまで付いて500ルピー(900円)は安いと思います。昨日はハイデラバードから来た若いインド人と一緒でした。謙虚な人柄で、彼の話す英語は分かりやすかったので、いろいろ話ができて楽しかったです。

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 これはナムギャル・ゴンパ。写真を撮っていいですかと聞いたらどうぞと言うので撮らせてもらいました。ダライ・ラマの法話はここでやるそうです。今回は残念ながらなかったのですが、ネットで調べたところ2か月に一回くらいあるようです。でも、この近くでダライ・ラマが実際に生活しているかと思うと、それだけで嬉しい感じがしました。

 地球の歩き方によれば、ダライ・ラマは観音菩薩の化身で、代々生まれ変わるとされています。現在のダライ・ラマ法王14世テンジン・ギャツォは、1935年に生まれ、2歳のときにダライ・ラマの転生者として認定され、4歳でチベットのラサへ。そして15歳の若さで最高指導者となりました。

 1959年3月、中国軍によるダライ・ラマの身柄拘束の危機が迫ると、ラサでは約30万人のチベット人が一斉に蜂起。緊迫した情勢の中、ダライ・ラマはわずかな随伴者とともにインドへ亡命しました。チベットは中国軍によって徹底的に弾圧され、以来チベットは完全に中国の支配下におかれることになりました。

 亡命したダライ・ラマは1960年ダラムサラにチベット亡命政権を樹立。以来、国際社会に対して、一貫して非暴力による方法でチベット問題を提起し続けています。1989年にはダライ・ラマにノーベル平和賞が送られました。

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「寛容の実践において、敵は最高の教師だ」チベットキッチンという店に飾ってあったダライ・ラマの言葉。ここで食べたテントゥク(チベットきしめん)が絶品でした。

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 ラム肉のテントゥク。醤油味で出汁もきいていて美味しい。汁も残さずいただきました。チベット料理は他にもモモやトゥクパなどがありますが、脂っこくなく、やさしい味付けでお腹にやさしいです。

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 朝、6時ころ行った近くのゴンパ。入っていいですかとおばさんに聞いたら、ニコニコして入りなさいと言ってくれました。顔が同じなのでとても親しみを感じます。道ですれ違うチベット人にニコっとされただけでとても気分が良くなります。なんだかほっこりする街でした。

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