JICA海外協力隊の世界日記

デリー下町生活

南インド マイソール

 これは、マイソールから16km離れたスリランガパトナの城門。「マイソールの虎」とイギリスに恐れられたティプー・スルタンの都があったところです。インドに来る前から、ティプー・スルタンには興味があり、ぜひ来たいと思っていました。

 ティプー・スルタンは18世紀後半にマイソール王国の君主として、ほぼ唯一イギリスに正面から戦いを挑み、一定の成果を収めた人物です。ティプーは歩兵、砲兵、軽騎兵で編成された強力な軍勢を駆使し、イギリスと互角に戦いました。

 ティプー・スルターンは多数の言語に堪能な教養豊かな人物でもあり、自国のカンナダ語のみならず、ウルドゥー語、ペルシア語、アラビア語、英語、フランス語まで喋ることが出来たと言われています。イギリスに対抗するため、フランスやオスマン帝国に使者を送るなど、広い視野を持っていました。

 自国の政治にも力を注ぎ、領主制を廃止して中央集権を進め、中東諸国とも交易して財を築き、6万の訓練された軍を常備していました。フランス人を雇い、兵器や戦い方、規律を積極的に取り入れました。当時、世界最先端のロケットを開発し、ロケット部隊に5000人をあてて、イギリスとの戦いで損害を与えたと言われています。

 マイソールからバスに乗って、スリランガパトナに行ったのですが、見どころが分散していたので、結構歩く羽目になりました。それでも、ティプーの残した建造物を訪れることができて大満足でした。

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 ティプーが建て、礼拝していたというジャーミア・マスジット。写真撮影は禁止でしたが、中で子どもたちがコーランを学んでいました。(たぶん)

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 ティプーが戦死した場所。ひざまずいて石碑に触れてきました。

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 夏の離宮、ダリア・ダウラト・バーグの巨大な壁画。中央に描かれているのがティプー。ベンガルールの夏の離宮に比べて展示物が多くとても見ごたえがありました。ティプーの衣服も展示されていました。

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 ティプーの墓があるグンバズ。下の写真左側がティプーの墓、その隣が父ハイダル・アリの墓、そして一番右が母の墓。多くの人が訪れていて、近くにいた一家がティプーの墓に触っていたので、私も触らせてもらいました。

 1799年、第4次マイソール戦争でイギリス軍に城を包囲され降伏するよう通告されたとき、ティプーは「年金受給者の名簿に名を連ねて、不信心者のお情けで惨めに生きるよりも、軍人として死んだほうがましである。」と返答しました。そして、彼の部下たちとともに最後まで戦ったそうです。

 なお、イギリスはティプーの亡骸を丁重に扱い、彼に敬意を払って国葬を行い、父ハイダル・アリが眠る隣に埋蔵したそうです。

 ティプー・スルタンは、イギリスに屈せず戦い続けた人物として今も人々の尊敬を集めています。おそらく、後世、イギリスから独立しようと戦った多くのフリーダム・ファイターたちの勇気を大きく支えたのではないかと思います。

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 マイソールの安宿。ドミトリーで260ルピー(500円)泊まっているのはインド人ばかりでしたが、なんとここで日本人の若者に会いました。大学を卒業して世界一周の旅をしているそうです。まだ、こんな若者もいるんだと思い、嬉しくなりました。彼とはデリーに帰ってから、会うことができました。今頃はウズベキスタンを旅していると思いますが、是非元気に旅を続けてほしいと願っています。

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