JICA海外協力隊の世界日記

デリー下町生活

西インド ディーウ 

 バスでディーウに移動する際、途中のウナというバスターミナルで若いインド人に会いました。彼が「私は仏教徒です」と自己紹介したので、私が「ジャイ・ビーム」と言うと満面笑顔になって「アンベードカル博士は私の神さまです。私はダリットなんです。」と嬉しそうに答えてくれました。

 アンベードカルはガンジーと同時代の人で、不可触民出身でインド憲法を作った人です。なにより、不可触民の地位向上のため命がけで働いた人で、インドではガンジーと同じくらい尊敬されています。ジャイ・ビームとは「アンベードカル万歳」のような意味で仏教徒の挨拶言葉。そして、ダリットとは不可触民カーストのこと。

 仕事は何をしてるんですかと聞くと、ダイヤモンドの加工の仕事をしていると答えてくれました。バスの出発時間になったのでそこで別れましたが、なんと彼は私のバスまで来て、自分の家に来ませんかと言ってくれました。またとない機会なのでちょっと迷いましたが、ホテルを予約してあったのでやむなく断りました。

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 ディーウはコーチンやゴアと同じくポルトガルの植民地だったところで、いたるところにポルトガル風の家、石畳、教会が残っています。雰囲気はゴアと似ていますが、小さい島のようなところで人も少ないので、ゴアよりもさらに時間の流れがゆっくりな感じがしました。

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 このディーウの東の端にポルトガル人が造った巨大な砦があります。ディーウの見どころはほぼここだけなので、早速行ってみました。なんと無料で、中はとても広かったです。海に向かってたくさんの砲台が置かれていて、完璧な要塞になっていました。

 バスコダガマが1498年にインド航路を発見してから、ポルトガルはインドの香辛料をヨーロッパに持ち帰って巨利を得ましたが、インド航路はイスラム商人たちがすでに知っていて、彼らももちろん香辛料貿易を行っていました。

 利害がぶつかり合い、エジプトやベネチアを巻き込んで戦争になりましたが、1509年ポルトガルはディーウ沖海戦でイスラム勢力を破り、ゴアを占領して香辛料貿易を独占しました。そしてディーウも占領して1635年にこの要塞を築いたそうです。

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 ちなみに、ゴア、ディーウ、ダマンは450年間もポルトガルに支配されました。なんと植民地から開放されたのは1961年です。インドは1947年に独立しましたから、それ以降も居座ったことになります。インド政府は出ていくようにポルトガルに通告しましたが、ポルトガルが拒否したため、インド海軍は猛攻撃を行いました。ポルトガルはあっという間に退散したそうです。

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 実は私がディーウに来たのは、ここでお酒が飲めるからでした。グジャラート州は飲酒を悪としたガンジーの出身地で、バリバリの禁酒州なのです。しかし、ディーウだけは連邦直轄地となっていて飲酒OKで、しかも安いんです。

 夕方、グーグルマップで探して宿から歩いて写真のバーに出かけました。チキンビリヤニとバドワイザーを注文して、さっそく一杯やりました。うまい、こりゃサイコーだ!2杯目をついで飲もうとしたら、他のお客さんがこっちへ来て一緒に飲まないかと誘ってくれました。

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 一人が少し英語を話す人でしたが、あとはグジャラート語とヒンディー語だったので、片言のヒンディー語で話しました。ここでも日本人ということで歓迎されました。私が「ガンジーもモディ首相もグジャラート出身ですね。グジャラートは本当に素晴らしい。」というととても喜んでくれました。

 青いマンゴーのつまみを私にも食べろと言って、テーブルに置いてくれます。少し甘みがあって美味しかったです。私が頼んだビリヤニにもレモンをかけて手でかき回してくれました。ちょっと困りましたが、サンキューと言いました。インドの人は平気で食べ物に触るんだよなあ。

 4人共ヒンドゥー教徒でモディー首相の支持者でした。最後はインドが好きかと聞かれたので、「インドが大好きです。インドの人たちを尊敬しています。」と答えました。

 ゴアと同様、他のインドの街と違ってバーは開放的で良かったです。インド人と一緒に飲むのも面白かったです。彼らはストロングビールと言って、アルコール度の強いビールを飲むのですが、私には甘くて美味しくないんです。バドワイザーを注文したら、こんなんでいいのか、ストロングの方がいいぞと勧められましたが、わたしはこれでと断りました。

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 最後の日はホテルに荷物を預けてポルトガルの要塞でのんびりしました。外国人は私だけだったので、いろんな人から声をかけられました。もう旅も終わるかと思うと、ホッとするような寂しいような。でも、デリーに帰れるのはうれしい。また生活が始まると思うとなんか安堵します。あのアパートはもうすっかり自分の家なんだなあと思いました。

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