2025/01/21 Tue
観光
ジャイサルメールの旅
ジョードプルから列車に6時間乗り、ジャイサルメールにやってきました。西へ287kmの移動。車窓からの眺めはステップ気候の砂と低木の風景でした(写真)。ジョードプルもそうでしたが、ここジャイサルメールも、デリーと比べて湿度が低く日差しが強いです。気温は最高24度くらいなのですが、日差しは痛いくらいに感じられます。
ジャイサルメールはタール砂漠の真ん中に位置する人口7万人の街です。ここにはずっと来てみたかったんです。街の魅力もあるのですが、砂漠を見てみたかったのです。大学生のころ、ヨルダンを旅したことがありました。そのときアカバからワディラムという砂漠に行くチャンスがあったのですが、料金が高いのでやめてしまったのです。今から思えば行っておくべきでした。
さて、ジャイサルメールは12世紀にラージプートの王ジャイサルによって築かれたそうです。イスラム教徒との闘いに敗れ国は亡びますが、東西貿易の要所だったため貿易商人により都市は繁栄しました。しかし、パキスタンの分離独立によって西への道が閉ざされてしまい、かつての東西貿易のオアシスもただの田舎町になってしまいました。
時代から取り残されたことが観光資源の維持に繋がったのかもしれません。今では連日、大勢のインド人観光客が押し寄せています。外国人もちらほらいますが、私が泊まっているホテルのドミはほとんどがインド人です。
城内には今も3000人ほどの人々が暮らしているのだそうです。土産物屋、レストラン、ホテルなどがたくさんあります。城は丘の上に造られていて、レストランやホテルからの眺めが本当に素晴らしいです。私のホテルはジャイサルメール城の外にありましたが、それでも下のような眺めで気に入っていました。
私は朝が早いのですが、ドミトリー部屋だと灯りがつけられないので寝てるしかありません。それでこの日は6時半にホテルを出てジャイサルメール城を歩いてみました。まだ暗いのに、清掃カーストの人たちが掃除をしていました。こんなに早くから大変です。それに見合う給料がもらえればいいけど、きっと安いんだろうな。
歩いていると、いろんな人から声をかけられました。近くにサンライズ・ポイントがあると言われたので、行ってみました。
日の出は7時36分。少し寒かったですが、30分くらいインド人旅行者と話しながら日の出を待ちました。ゴールデンシティと呼ばれるジャイサルメールの街が明るくなっていく様子はきれいでした。
以前、「喪失の国、日本を読む」で紹介した著者のシャルマさんに会えたらいいなと思い、とりあえずTokyo Palaceというホテルに行って聞いてみました。でも、残念ながら分からないということでした。
Tokyo Palaceの屋上レストランからの眺め。ここは日本人の宿泊客が多いのかと思っていましたが、インド人がたくさん泊まっていました。さて、このホテルのロビーで若い日本人女性に会いました。デリーでおにぎりの店を出そうと準備をしているところだそうです。しかも、なんと私と同郷の新潟出身の方でした。
インド人に好まれる具材は何がいいだろうといろいろ試しているのだそうです。今のところ、好まれたのは唐辛子味噌だということでした。ベジタリアン向けに準備されているようでした。また、意外なことにというか、インド人から日本の米は美味しいと言われるのだそうです。
インド米は長粒種のパサパサした米で、日本米は短粒種のネバネバ系です。ネバネバ系はだめかなと思っていましたが、そうじゃなかったんですね。インド人は日本の米の味が分かるんですね。確かに、ビリヤニを食べていてもいろいろな米が使われているから、もしかして米の味にはうるさいのかもしれません。
おにぎりの話や旅の話で盛り上がり、2時間も話し込んでしまいました。ま、これも旅の醍醐味です。こうやっていろんな人と出会えるので、やっぱり旅はいいものです。
意外なことにというか、私が知らないだけだったのか、ジャイサルメールはミカンが甘くて美味しかったです。しかも安い。1kgで50ルピー(90円)でした。デリーの半値近くです。ミカン好きの私にはありがたかったです。
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