JICA海外協力隊の世界日記

デリー下町生活

廃墟の遺跡トゥグラカバード 

 デリーには3つの世界遺産があります。13世紀の奴隷王朝時代に建てられたクトゥブ・ミナール。そして、ムガル帝国時代に建設されたフマユーン廟とラール・キラー。それぞれ、良好な状態で保存されていて素晴らしいものです。今日ご紹介するのは、デリー市内にある14世紀の遺跡トゥグラカバード。観光客があまり行かない遺跡かもしれません。

 日曜日の朝早くアパートを出て、メトロに乗ってトゥグラカバードに向かいました。トゥグラカバードの駅からは乗合オートに乗るはずでしたが、乗合オートが見らずうろうろしていたら、オートの運転手たちが争うようにやってきて100ルピー(180円)でどうだと言ってきました。「乗りません。バスで行きます」と言って、人に聞きながらバスの乗り場まで歩きました。

 グーグルマップで調べたバスになんとか乗りこんだら、運賃はたったの5ルピー。やっぱりバスは安いなあ。車掌さんに「フォート(砦)に着いたら教えてください」とお願いして、外の景色を眺めていました。

 デリーはこの時期、毎朝、深い霧が発生します。この日は8時過ぎに入場しましたが、白い霧に覆われていました。朝早かったせいもあり、見学者はほとんどいませんでした。

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 このトゥグラカバードは14世紀に建設された都の廃墟です。調べてみると、インドのデリー・スルタン朝のトゥグルク朝の創始者であるギアスディン・トゥグルクによって 1321 年に建設が開始されています。

 トゥグルクはもとは王に仕える優秀な将軍だったそうです。あるとき、王に「この場所に都を作ったらどうですか」と提案したら、「お前が王になったら作ればいい」と一蹴されました。その後、王国内で内乱が起き、トゥグルクは自ら王となって念願の都造りを始めます。

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 トゥグルクは、モンゴルの攻撃を防ぐための難攻不落の都を建設しようと躍起になり、デリーの工事関係者を全員呼び集めて仕事にあたらせます。その結果、他の場所で建設途中の井戸が放棄されることになり、このことがイスラム教の聖人ニザームッディーンを怒らせます。ニザームッディーンはトゥグルクに呪いをかけたと言われています。

 トゥグルクはベンガル遠征からデリーに帰還した際、息子のウルグ・ハーンが父の勝利を歓迎するために建設した建物の倒壊で死亡します。果たしてこれは、ニザームッディーンの呪いのせいなのか、それとも息子の陰謀なのか。

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 写真はバザールの跡。地下に造られています。両脇は10畳ほどの広さの部屋になっていました。石で造られているので涼しかっただろうと思います。回廊の長さは70~80mほどでしょうか。

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 巨大な階段井戸もありました。下まで降りてみましたが、かなり深く20~30mくらいありそうな感じでした。井戸を離れて先へ歩いてみましたが、ずいぶん広く、多くの遺跡が草木に覆われていました。かつては城塞都市で13の門があり、周囲7Kmが城壁で囲われていたそうです。あまり整備されていないので、廃墟おたくにはたまらないだろうなと思いました。この日は霧が深くきれいに見渡せなかったので、また天気のいい日に来て青空のもとでこの廃墟を見てみたいと思います。

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 遺跡から道を隔てて反対側にあった、ギアスディン・トゥグルクの墓。後の二つは奥さんと息子のようです。

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