2025/05/21 Wed
人 映画
映画館100回突破と映画「Phule」


ついにインドに来てから映画館で観た映画の本数が100本を超えました。内訳はインド映画が8割で後はアメリカ映画と日本のアニメです。私は、日本でも映画は観ていましたが、インドに来てからの方が断然多いです。インド映画が好きだったことと、何と言っても値段が安いことがその理由です。
日本だったら安くても1200円はする新作映画が、インドでは150~300ルピー(260~520円)で観られるので、行かない手はありません。映画館の設備は日本と変わらないか、それ以上のところもあります。日本と違うのは、どんなに短い映画でもインターミッション(休憩)が入ること。止めてもらいたいのですが、食べ物や飲み物を売りたい映画館としては稼ぎどころだから仕方がないのかもしれません。
インド映画は、ヒンディー語が分からないので、不十分な理解にとどまるのですが、事前に調べていくので、なんとか楽しめています。英語字幕が付くものもあるのですが、上映時間が限られているので、自分の都合と合わないことが多いのです。
インド滞在もあと2か月半。せっかく映画館の多いデリーにいるのだから、少なくとも話題の新作は観続けて行こうと思っています。
さて、昨日、「Phule」という映画を観に行ったので紹介したいと思います。題だけでは分からなかったので、どんな映画かなと思って調べてみたら、なんとアンベードカル以前にシュードラやダリットの人たちに教育の機会を与えた偉人だということが分かりました。
この映画は、ジョーティラーオ・プレーとその妻サヴィトリバイ・プレーを描いた伝記映画でした。もしかしてと思ってアンベードカルを調べたら、なんとアンベードカルが選んだ歴史上の3人のグル(師匠)の1人になっていました。すごい人なのです。
ジョーティラーオ・プレーは1827年マハラシュトラ州プネーで農民の子として生まれました。カーストでは一番下のシュードラです。小学校に通い、読み書きと算数の基礎を学んだ後、親に学校をやめさせられて働きましたが、その才能を見込んだ人が彼の親を説得して学校に通わせてくれました。彼は20歳で英語教育を終えています。
ジョーティラーオが13歳のとき、9歳のサヴィトリバイと結婚しました。インドの幼児婚の慣習です。ジョーティラーオは低カーストと女性が社会で不利な立場にあり、それを打開するためには教育が必要だと考え、まず、自分の妻のサヴィトリバイに文字の読み書きを教えました。
サヴィトリバイは勉強を続けて、アメリカ人の宣教師が運営する教員養成コースやプネーの師範学校で学び、インド初の女性教師になりました。夫妻はプネーで女の子の学校を立ち上げました。二人は村々を回って親を説得して、生徒を集めて教えていきます。映画では生き生きとした表情で女生徒たちが学んでいました。
しかし、地域のブラーマンが反対します。大勢でやってきて学校を壊したり、学校に行かせないよう親を脅迫したり、サヴィトリバイに泥を投げつけたりしました。実はこの映画はジョーティラーオ・プレーの誕生日の4月11日に封切られる予定でしたが、マハラシュトラ州の一部のブラーマンが映画の描写についてクレームを入れたため、4月25日からの上映になったのです。なんとも心の狭いことです。
ジョーティラーオもアンベードカルも、どちらもイギリスには好意的でした。アンベードカルはイギリスがいなくなったら、差別がもっと酷くなると言っていました。それほどブラーマンを中心とするカーストの差別がすさまじかったのでしょう。
カーストの差別にあいながらも、プレー夫妻はくじけることなく、シュードラやダリットの女子教育を進めていきました。ジョーティラーオは教育委員会の公聴会で初等教育を義務化することを提唱したり、高校や大学にもっと低いカーストの人々が入れるような特別な制度作りを求めたりしました。
差別を無くすために教育が必要だと分かっても、実行できる人は少ないです。プレー夫妻はお互いを尊敬しあい、前を向いて学校教育を広げていったのでしょう。映画ではいつもイギリス人や上位カーストなどの協力者に囲まれていました。
晩年、ジョーティラーオはマハトマの称号を受けました。ガンディー以前にマハトマと呼ばれた人がいたとは知りませんでした。インドには差別がありますが、それを無くそうとする人がいたことを知ると、インドを尊敬する気持ちが湧いてきます。
この映画は思ったより観客が多かったです。しかも、映画が終わってから拍手が起きたのです。多分インドに来てから初めてです。ウィキペディアには「サヴィトリバイ・プレーの遺産は今日も生き続けています。彼女の女子教育と女性教育のための活動は、非常に尊敬されています。」と書かれてありました。プレー夫妻が尊敬されていることを知り、やはりインド人は素晴らしいと思いました。
オーランガバードに立つプレー夫妻の像。2003年、ニューデリーの国会議事堂にもジョーティラーオ・プレーの像が建てられたのだそうです。
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