2024/12/16 Mon
文化
「喪失の国、日本」を読む 1
デリーのJICA事務所にはボランティア室があり、部屋は本で囲まれています。事務所に行ったときにはだいたい本を探すのですが、今回の本はこれ。題名はあまり面白そうではありませんでしたが、読んでみてびっくり。すごく面白いんです。なんで今までこの本を読まなかったんだろうと思いました。
インド人が見た1990年代前半の日本のことが、歯に衣着せず赤裸々に書かれてあります。日本のことをインドの習慣や歴史と比べて書いてあるので、分かりやすくて面白い。私は本を読みながら何回も声を出して笑ってしまいました。
さて、まず、訳者とこの本の著者との出会いについて紹介します。訳者は1997年に取材のためデリーを訪れ、本屋で「जापान की यादें」(日本の思い出)というヒンディー語で書かれた私家版のような本を見つけ購入します。
訳者は「インド旅の雑学ノート」などを著していますから、ヒンディー語ができ、インドに精通した人だったのだろうと思います。そして、彼がデリーから西インドのジャイサルメールに行ったとき、たまたま一人のインド人に声をかけられます。
家に招待されてチャイを飲みいろいろな話をする中で、訳者が面白そうな本を見つけたと件の本を出します。なんとそれはそのインド人が書いた本だったのです。これはすごい偶然。本には9億5千万分の1の確立だと書いてありました。きっと著者が信仰していたラーマ神が導いてくれたのでしょう。
著者が住んでいたジャンサルメール。ラジャスタン州の西の果て。パキスタンとの国境近くにあります。
さて、本の中から内容をいくつか紹介しようと思います。
「ホテルのロビーのカウンターはインドとは違っていた。客の誰もが物静かで、請求書をちらっと見ただけで勘定を済ませる。釣りを確かめないのには驚いた。荷物は離れたソファーに置きっぱなしである。インドでは荷物は片時も離さず、札は互いの目の前で一枚一枚数え、汚れている札は突き返す。ところが、日本ではそういうことは不要なのだ。一面識もない相手を信じ、誰も裏切らない。汚れて使えない札を渡す失礼な人間は一人としていない。」
私も、インドで買い物してお釣りをもらったときはその場で確かめています。破れたりセロテープが貼ってある札かどうかを調べるのです。そういう札は使えません。銀行でも換えてもらえないんです。(下の写真の札はセロテープが貼ってあるので受け取ってもらえません。)
「(日本の家に招待されて)玄関で靴を脱ぐとき、私は靴下も脱いだ。そしてそれを靴の中にねじ込んで、つま先で隅に揃えた。すると靴下は脱いではならない。靴は手で揃えるようにと言われた。インドでは家の中はもちろん、聖所では必ず素足になる。それは素足が浄だからだ。また、インドで靴に触れるのは低いカーストの者なので、ブラーマンの自分は手では触れられない。」
インドではいろんなところで素足のインド人を見かけます。そういえば以前ジュナーガルのギルナーク山に登ったとき、素足で登る人が多いのにびっくりしました。信仰の証かと思いましたが、浄という感覚だったのですね。なお、インドでは観光地などに靴を預けても盗まれないようです。基本的に靴には触らないようです。
「(カラオケをインドに輸出したいという人に対して)それは無理です。古典舞踊ならばともかく、人前で歌を歌うのはインドでは乞食のカーストのやることです。また、個室のスタイルも不可能です。電話ですら公安の盗聴権を認めている政府が個室カラオケなど決して許可しないでしょう。また、客は機器をマニュアル通りに使わず、あちこちをいじくってすぐ壊してしまいます。インドでは開店3日目で使い物にならなくなり、1週間で建物全体が廃墟と化すでしょう。」
カラオケボックスはデリーにあるのかな。グルガオンにはカラオケラウンジ(下の写真)はあるらしいです。30年前に書かれた本なので、歌うことへの価値観は変わっているかもしれません。私の学校の生徒たちは元気に日本の歌を歌ってくれます。
確かに、カラオケの機器は壊れるだろうと思います。マニュアルを見ないで使うし、メンテナンスをしないから、すぐ壊れてしまうでしょうね。
「インドでは、男女は互いに一対の神であり、別れはごくわずかな例外を除いて死別以外にない。それどころか、かつては夫が死ねば妻も共に焼かれたものだ。神の愛に終わりがないように人間の愛にも変更も終わりもない。それがヒンドゥー教における「つがい」の解釈である。しかし、日本のつがいには終わりがあり、それはいとも簡単にやってくる。」
実際、インドの離婚率は1~2%だと言われています。日本の離婚率は35%だからインドはずいぶん低いです。以前旅先で会ったインド人に、なぜ親が決めた人と結婚するのか尋ねたとき、彼は離婚率の低さを挙げました。インドの人たちは男女は互いに一対の神だと思っているから離婚しないのでしょうか。それとも自分で選んだ相手じゃないから離婚しないのでしょうか。
インド人が見た1990年代前半の日本のことが、歯に衣着せず赤裸々に書かれてあります。日本のことをインドの習慣や歴史と比べて書いてあるので、分かりやすくて面白い。私は本を読みながら何回も声を出して笑ってしまいました。
さて、まず、訳者とこの本の著者との出会いについて紹介します。訳者は1997年に取材のためデリーを訪れ、本屋で「जापान की यादें」(日本の思い出)というヒンディー語で書かれた私家版のような本を見つけ購入します。
訳者は「インド旅の雑学ノート」などを著していますから、ヒンディー語ができ、インドに精通した人だったのだろうと思います。そして、彼がデリーから西インドのジャイサルメールに行ったとき、たまたま一人のインド人に声をかけられます。
家に招待されてチャイを飲みいろいろな話をする中で、訳者が面白そうな本を見つけたと件の本を出します。なんとそれはそのインド人が書いた本だったのです。これはすごい偶然。本には9億5千万分の1の確立だと書いてありました。きっと著者が信仰していたラーマ神が導いてくれたのでしょう。
著者が住んでいたジャンサルメール。ラジャスタン州の西の果て。パキスタンとの国境近くにあります。
さて、本の中から内容をいくつか紹介しようと思います。
「ホテルのロビーのカウンターはインドとは違っていた。客の誰もが物静かで、請求書をちらっと見ただけで勘定を済ませる。釣りを確かめないのには驚いた。荷物は離れたソファーに置きっぱなしである。インドでは荷物は片時も離さず、札は互いの目の前で一枚一枚数え、汚れている札は突き返す。ところが、日本ではそういうことは不要なのだ。一面識もない相手を信じ、誰も裏切らない。汚れて使えない札を渡す失礼な人間は一人としていない。」
私も、インドで買い物してお釣りをもらったときはその場で確かめています。破れたりセロテープが貼ってある札かどうかを調べるのです。そういう札は使えません。銀行でも換えてもらえないんです。(下の写真の札はセロテープが貼ってあるので受け取ってもらえません。)
「(日本の家に招待されて)玄関で靴を脱ぐとき、私は靴下も脱いだ。そしてそれを靴の中にねじ込んで、つま先で隅に揃えた。すると靴下は脱いではならない。靴は手で揃えるようにと言われた。インドでは家の中はもちろん、聖所では必ず素足になる。それは素足が浄だからだ。また、インドで靴に触れるのは低いカーストの者なので、ブラーマンの自分は手では触れられない。」
インドではいろんなところで素足のインド人を見かけます。そういえば以前ジュナーガルのギルナーク山に登ったとき、素足で登る人が多いのにびっくりしました。信仰の証かと思いましたが、浄という感覚だったのですね。なお、インドでは観光地などに靴を預けても盗まれないようです。基本的に靴には触らないようです。
「(カラオケをインドに輸出したいという人に対して)それは無理です。古典舞踊ならばともかく、人前で歌を歌うのはインドでは乞食のカーストのやることです。また、個室のスタイルも不可能です。電話ですら公安の盗聴権を認めている政府が個室カラオケなど決して許可しないでしょう。また、客は機器をマニュアル通りに使わず、あちこちをいじくってすぐ壊してしまいます。インドでは開店3日目で使い物にならなくなり、1週間で建物全体が廃墟と化すでしょう。」
カラオケボックスはデリーにあるのかな。グルガオンにはカラオケラウンジ(下の写真)はあるらしいです。30年前に書かれた本なので、歌うことへの価値観は変わっているかもしれません。私の学校の生徒たちは元気に日本の歌を歌ってくれます。
確かに、カラオケの機器は壊れるだろうと思います。マニュアルを見ないで使うし、メンテナンスをしないから、すぐ壊れてしまうでしょうね。
「インドでは、男女は互いに一対の神であり、別れはごくわずかな例外を除いて死別以外にない。それどころか、かつては夫が死ねば妻も共に焼かれたものだ。神の愛に終わりがないように人間の愛にも変更も終わりもない。それがヒンドゥー教における「つがい」の解釈である。しかし、日本のつがいには終わりがあり、それはいとも簡単にやってくる。」
実際、インドの離婚率は1~2%だと言われています。日本の離婚率は35%だからインドはずいぶん低いです。以前旅先で会ったインド人に、なぜ親が決めた人と結婚するのか尋ねたとき、彼は離婚率の低さを挙げました。インドの人たちは男女は互いに一対の神だと思っているから離婚しないのでしょうか。それとも自分で選んだ相手じゃないから離婚しないのでしょうか。
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