2024/12/17 Tue
文化
「喪失の国、日本」を読む 2
「インドでは、スパイスの使い方がそうであるように、混ぜることを愛する。食物を混ぜ合わせることは、豊穣への祈願であり、感謝であり、喜びなのだ。日本では混ぜる行為は粗悪なものにしようという悪の意図に他ならない。混ぜることは純粋と対局をなし、インドのような豊穣へとつながらない。」
この続きとして、「刺身も、煮物も卵焼きもライスも一緒くたにして、混ぜたほうが美味しくなると思っているの?」と日本人から質問されて「刺身については分からないが、煮物や酢の物や卵焼きなどは、ライスと混ぜ合わせてこねた方が美味しくなると思う。味噌汁も加えればさらに美味しくなるのではないか。」と答えています。インド人は日本料理も混ぜて食べようと思うんですね。
「(上記の続きで)こんなふうに考えてみると、日本人はしばしば異なる文化や異なるジャンルの人々との共同作業が下手だと言われていることについても疑義をはさみたくなる。多くの外国人が、その理由を彼らの語学力の不足と、いんぎんで引っ込み思案な性格のせいにするが、実は純粋に日本的な事情、混ぜることを厭う文化から来るのではないか。日本人はコラボレーションが下手なのではなく、コラボレーションを厭う民族だと私には思えるのである。」
これはすごい。こんな風に考えたことはなかったです。日本人の食べ方を外国人とのコラボレーションの仕方に結び付けて考えるとは。でも、なるほど一理あるかもしれませんね。
「興味深いのは、骨を川に流さず、すべて壺に入れて墓の奥にしまうことである。日本人はかつてのエジプト人がミイラに執着したのと同じくらい、骨に執着する民族なのである。日本に住んでいるインド人に聞いてみたら、彼らは遺灰の半分を東京湾に撒き、残りをインドに持ち帰ってガンジス川に流しているとのことだった。」
そうか。こないだデリーの人に「遺灰は(デリーを流れる)ヤムナ川に流すんですか」と聞いたとき、その人は遺灰はみなガンジス川に流すと言っていました。しかし、海外に住むインド人も遺灰をガンジス川に流していたんですね。
「相手の話を全く聞かない」という日本人のインド人批評は、裏返せば、日本人は相手の立場を理解して譲歩する、つまり人情によって条件を引き下げる民族であることを物語っている。権利の主張を議論や交渉と感じず、相手を腹黒いと感じるのは、日本人がいかに情緒的な関係を商取引に求めているかという証左である。」
インドには定価がない場合が多いから、交渉で値段を決めます。リンゴやみかん、オートリキシャの料金なども交渉して値段が決まります。私の住んでいるデリーの下町では、野菜や果物の値段でぼられることはあまりないですが、観光地に行くとオートリキシャは吹っ掛けてきます。時間の余裕と我慢が必要になります。リキシャについて、著者は次のように言っています。
「リキシャの運転手は、身なりの立派なものには吹っ掛け、追加料金をねだり、身なりが粗末なものに対しては乗車拒否をする。ラッシュ時には料金を何割増しにもする。交渉は難しく、女たちは途方に暮れて歩き出す。インドを発つまでそれが当たり前だと思っていた私は、日本に来て初めてインドの理不尽さを知った。」
外国人だけでなく、インド人にも吹っ掛けるんですね。私もデリーの観光地周辺でリキシャの運転手に料金を聞くと、5~10倍の値段を吹っ掛けられます。私の場合はすぐ交渉を打ち切り、別の運転手に聞きます。そのうち、だんだん値段が下がってくるのですが、時間と根気がいりますね。
「日本人ビジネスマンは、なぜ相手国の文化を研究しないままやってくるのか。私はそれを今日の日本人の無宗教性と没習俗性という文化状況に由来すると考える。結婚式を教会で挙げ、墓は仏教式に建て、クリスマスを家族で祝い、新年には神社に詣でる。それなのに教会に行かない。なぜなら、彼らはキリスト教徒ではないからであり、世界中の風俗と習慣を単にファッションとして選ぶ者だからである。」
「このような文化的段階では、異文化人に接するに際して、相手の宗教文化を研究することの重要性を感じられないのである。重要性を認識する文化的ベースが自らに欠落しているゆえであり、欧米人がインドの文化と習俗を学ぼうとするのは、彼らが異なる宗教をもっているからなのだ。」
この指摘は痛いです。私についていえば、無宗教で、多くの日本人と同様に宗教は儀式や習慣で関わるだけです。そしてそのことになんの疑問ももってきませんでした。でも、著者が指摘するように、神への信仰心がないと、宗教は理解できないのでしょうか。
どうなんでしょう。現に日本人のインド研究家はたくさんいて、本もたくさん書かれています。だから、理解しようとすればある程度理解できるのではないでしょうか。少なくとも理解しようとする姿勢は大切なのではないかと思います。
この本には他にも興味深いことがたくさん書かれているので、みなさんにも是非お勧めします。デリーで暮らしている私はインド人の心を覗けたような気持ちになりました。多分、今まで読んだインド関係の本の中で一番面白い本だと思います。いい本に出会えて幸せでした。
著者が暮らすジャイサルメールには行ってみようと思っています。ラジャスタン州のタール砂漠の真ん中の街です。もしかして著者に会えたりして。まさか、そんな偶然はないですよね。
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