2025/06/07 Sat
人 歴史
「パール判事」を読む 3


パールは東京裁判後4回来日しています。そして、日本各地で講演を行いました。「日本は美しい国である。日本の細やかで美しい風景を目にすると、このような国で余生を過ごしたいという気持ちがわいてくる。それほどに日本の自然は美しい。」と述べるなど、パールは日本の風土に愛着を感じていました。また、様々な日本人と交流して、日本のあり方について誠実かつ率直に意見を述べています。
例えば、サンフランシスコ平和条約について、多くの日本人はインドが同条約に反対した理由を理解できておらず「はなはだ残念」とした上で、アメリカとのつながりよりもインドとの信頼関係を重視すべきことを訴えました。さらに、日本人はアメリカから流れてくる一方的なニュースのみを受容しているため「ものの見方や考え方を他人の眼や頭に頼りすぎている」と批判し、「よく真相をつきとめ、自分の眼、自分の頭でものごとを判断していただきたい」と訴えています。
彼は、国会議員たちに対しても、日本人が過度のアメリカ依存によって主体性を失ってしまっていると批判し、東西冷戦の両陣営から距離をとるべきことを訴えました。「わたしは日本が自らの決意と判断によって主権確保の道を切り開いてゆくことを望んでやまない。」「再軍備への方向は決してアジアへの道ではない。もし日本がアジアとともに平和国家を築いてゆこうとするなら、現在の政治、経済施策に思い切った改変を必要とするのではなかろうか。いまインドをはじめとするアジアの諸国民は、岐路に立つ日本政治の方向を、非常な友愛と同時に警戒の心をもって見守っている。」と述べています。
原爆については、「アメリカの原爆投下の背景には、抜きがたい人種差別の感情がある。原爆投下は戦争終結に不必要な攻撃であり、その本質は「大量殺人」を伴う「実験」である。このような残虐な行為を行ったアメリカは、未だに反省の念を口にしていない。アメリカは、原爆投下がなければ戦争が長期化し、自陣営にさらなる犠牲者が出続けたと主張し続けている。しかし、そのような口実で罪のない老人や子どもを殺戮してよいのだろうか。
平和的生活を営む一般市民を無差別に虐殺した人間が、人道主義や平和という言葉をもてあそぶことに、深い憂慮の念を抱かざるを得ない。われわれはこうした手合いと、再び人道や平和について語り合いたくはないのである。」と述べています。原爆の責任の所在をあいまいにし、アメリカの顔色をうかがう日本人。主体性を失い、無批判にアメリカに追随する日本人。東京裁判を忘却し、再軍備の道を突き進み、朝鮮戦争をサポートする日本人。パールは、アメリカの意向を至上の価値として仰ぐ戦後日本の軽薄さに憤りました。戦争に対する反省の仕方を誤り、再び平和の道を踏み外そうとする日本にいらだちました。
パールが今の日本を見たら、なんと言うでしょう。「私があれだけ言ったのに、あなたたちは自分の頭で考え行動しなかったのですか。」とでも言うでしょうか。
「インドのガンジーとネールはともに偉大な人物ですが、真理のためには、何ものをも恐れないという信条を持っていました。私もこの考えに従うものです。誰も支持してくれなくとも、自分が真実と思えば、最後までそれを貫くべきです。私があの東京裁判で行ったことは、あくまでも、ゆるがすことのできない絶対的な真理の追究ということでありました。私は今でも確信を持って、自分の判決書に書いてあることが間違いないということを断言できます。」
他の判事からの批判を受けながらも、パールは自分の信念を貫きました。そこは真理の追究に真摯だったガンディーと似ています。ガンディーもパールも、どちらもインドの歴史が生み出した偉人だと言えるでしょう。イギリスから受けた植民地支配でひどい迫害を受けても、最後は平和裡にイギリスを追い出し、堂々と独立したインド。パールのような人物が日本に関わってくれて、日本人は幸せだと思います。
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