JICA海外協力隊の世界日記

デリー下町生活

ガンディーについて 2

 これはガンディー記念博物館にある、ガンディーが最後を迎えた場所です。彼の最後の言葉「へー・ラーム」(おお神よ)が刻まれています。この前日、ガンディーは「誰かが弾丸で私を殺すならば、そしてその際、私がうめき声も出さず、神の名を唱えながら息を引き取るならば、私は主張を実証したことになりましょう」と言っていますが、その言葉通りに最後を迎えました。

 ガンディーを殺害したのはナトゥラーム・ゴードセー。ブラーマンの出で、子どものころはガンディーを尊敬していました。高校を中退してからは、ヒンドゥー・ナショナリズムを信奉する組織である民族義勇団 (RSS) と、ヒンドゥー大連盟にも加入して活動家となりました。

 ガンディーがイスラム教徒に譲歩し過ぎていると強い反発を感じていたようです。1948年1月30日、ガンディーが祈りの場に行く途中で前に進み出、拳銃を3発撃ちガンディーを殺害しました。その後、ガンディーの2人の息子たちから減刑の嘆願書が出されましたが、死刑判決が下され1949年11月15日絞首刑となりました。

 なお、2014年インド人民党が政権に就くと、ヒンドゥー大連盟はゴドセの復権を試み、彼を愛国者として讃えるようになりました。以前観た「ヴィ―ル・サワルカル」という映画の中で、ガンディー殺害のシーンの際に映画館の会場から拍手が起こったのは、こういった背景があったのだと知りました。

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 ガンディーが使っていた部屋。机の上には愛読していたヒンドゥー教の経典「バガヴァッド・ギーター」が置かれています。この部屋は当時のまま保存されているのだそうです。

 ガンディーは非暴力について、「私の非暴力の信条ははなはだ積極的な力である。そこには臆病とか弱さの入り込む余地は全くない。自らの保護下にある女性を非暴力によっていかに守るかを知らないのであれば、男である限り、少なくとも戦って守ることができなければならない」

 「人間は肉体としてはいかに弱いものであろうとも、逃げ出すことを恥辱とするならば、一歩も引かず、命を懸けて自分の部署につくだろう。これが非暴力であり、勇気なのだ。いかに弱かろうとも、ありったけの力を用いて敵を傷つけながら死ぬのであれば、それは非暴力ではないが勇気である」と書いています。

 ガンディーの非暴力とは勇気なのです。「怯懦(臆病)か暴力か、と二者択一を迫られた場合には、私は暴力を勧めるだろう」とも述べていて、この人がいかに臆病を嫌っていたかが分かります。

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 「たとえお前一人になろうとも、全世界を相手に立ち向かえ。世界が血走った目で見ようとも、お前は臆せず世界に直面せよ。恐れるな。お前の胸にある小さなものを信頼せよ。友も妻もすべてを見捨てることになろうとも、お前が命をかけて生きてきたものを証言せよ。」

 「私は勇者の非暴力を身につけているだろうか。それはただ、私が死んだときに示されよう。だれかに殺されて死ぬ間際に暗殺者のために祈りを捧げ、心の聖域に神をありありと思い浮かべ感じるならば、その時にこそ私には勇者の非暴力が身についていたと言えるだろう。」

 昔観た「ガンジー」という映画を今回見直してみましたが、殺害されるシーンでガンディーはゴードセーを見ながら「おお神よ」と言っていました。あれはゴードセーに祈りを捧げていたんですね。すごい人です。ガンディーこそ、まさに勇者のなかの勇者でしょう。

 

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