JICA海外協力隊の世界日記

デリー下町生活

ガンディーについて 3

 写真はガンディーの4人の子ども。みな男の子です。最初に生まれた子は生後すぐ亡くなりましたが、写真の4人の息子たちはみな成人しました。

 ガンディーの子どもたちのことはあまり知られていないように思います。私もあまり知りませんでした。今回、調べるなかで、ガンディーの長男を描いた「Gandhi, My Father」という映画があることが分かったので、さっそく観てみました。

 ガンディーの長男ハリラールは、ガンディーが
19歳で渡英する直前に生まれました。インドで母親に育てられ、8歳のとき南アフリカに渡りました。青年期のハリラールは父ガンディーに従って運動して投獄されたりして、リトル・ガンディーとあだ名されるほど周りからの評価は高かったそうです。

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 ハリラールは父と同じにイギリスに留学して弁護士になりたいと思っていて、それが彼の夢でした。そして、周りの人も妻のカストゥルバもガンディーにハリラールの英国留学を勧めました。しかし、ガンディーは息子に対してひいきをせず、奨学金を別の若者に与えてしまいました。

 映画の中で、妻カストゥルバは、なぜハリラールを留学させてやらないのかとガンディーに問いただします。
ガンディー「ハリラールには教育が不足している」
カストゥルバ「あなたが南アフリカに呼んだから、教育が中途半端になったんでしょ。あなたのせいよ。」「いつもあなたの仕事、あなたの理想ばかり。子どもたちはいったいどうなるの?」

ガンディー「社会に奉仕する人間は見返りを期待してはいけないんだよ。」
カストゥルバ「なんでうちの子たちを差別するの。ハリラールはイギリスに行きたいと言ってるじゃない。あなたはガンディーとしてじゃなく、父親として子どもの声を聞くべきよ。」
ガンディー「私たちはこの農園のすべての子の親なんだよ。」

 ガンディーが「彼女は非常に頑固だった。私がどんなに圧力をかけても、彼女は自分の望むことをした。」と書いているくらいだから、カストゥルバは本当にこういうことを夫に言ったのではないかと思います。

 さて、このことで希望を失ったハリラールは次第に父親の愛情を疑うようになります。そして、南アフリカを離れてインドにいる家族のもとに戻り勉学に励むのですがうまくいきませんでした。生活も貧しく、父親からの仕送りも足りませんでした。

 1915年、ガンディーがインドに戻ります。ハリラールはインド国民から「マハトマ」と尊敬される父親を尻目に、商売を始めては失敗したり、アルコール中毒になって悪酔いして逮捕されたりします。

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 その間、心の支えだった妻も実家に帰り、そこでインフルエンザにかかって死んでしまいます。その後、ハリラールはイスラム教に改宗してまたヒンドゥー教に再改宗したりと、不安定な人生を送りました。ガーンディーの独立運動に加わったこともありましたが、長くは続きませんでした。そんなハリラールをガンディーは常に温かく迎えていましたが、ハリラール自身は父親と距離を置いていました。

 彼の心の拠り所は母親のカストゥルバでしたが、彼女も軟禁中に亡くなってしまいます。その後、ハリラールは乞食となって放浪生活を送ります。そして、父ガンディーが亡くなった5カ月後に、貧困のなか、ムンバイの病院で息を引き取ります。

 映画の中で、ハリラールは「父に愛?私はそんなものは知らない。私は教育を受けたかった。弁護士になりたかった。父は私の翼を切った。私にどうやって飛べというのか。父の理想に従うことの重みに窒息しそうだ」と言っていました。

 一方、父親のガンディーは何もしなかったわけではなく、ハリラールにアシュラムで一緒に暮らそうと何回も説得していました。しかし、ハリラールが父の説得に応じることはありませんでした。

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 ガンディーは自伝に次のように書いている。「『あなたはご子息さえ導きそこなわれたのですから、我が家の始末をつけることで満足なさったらいかがなものでしょうか』とある人が書いてよこした。」

 「親不孝者が生まれたのも、現世もしくは前世での私の過去が悪かったからと考える。この息子が生まれたのは、私が情欲のために迷い込んでいたときのことである。長男の成長期も私自身が成長の途中にあり、自分についてほとんど何も知らない頃に過ぎた。

 長男は幾年も私の下を離れていたし、全く私の手で養育したわけでもない。この息子は、いつも私が、誤って公共のためによいと判断したことのために、息子たちに犠牲を強いるということが不満であった。

 他の息子たちも多かれ少なかれ私に同じ非難を浴びせるが、ずいぶんためらいを感じたうえでのことである。それに、弟たちは気前よく私を赦してくれている。長男は私の生活の実験の直接の犠牲者であるので、愚劣な失策と思えることを忘れないのである。

 私は長男を失った理由は自分自身にあると考えており、したがってそれに忍耐強く耐えることも学んだ。しかしながら、息子を失ったというのは全く正しいことではない。というのは、私は神が息子に自分の間違っていることを気づかせ、私の態度に何か足らないところがあれば、赦すように仕向けてくださるようにいつも祈っているからである。」


 私としては、カストゥルバの意見に賛成です。ハリラールをイギリスに留学させてやればよかったのにと思います。イギリスに行ってもうまくいかなかったかもしれません。でも、ハリラールは父の自分への愛情を感じて立ち直れたのではないかと想像します。

 ただ、ガンディーはハリラールを捨てたわけではありませんでした。ガンディーは「私の人生での一番の後悔は、ジンナーとハリラールを納得させられなかったことだ」と言っています。ジンナーはムスリム連盟のリーダーでパキスタンの初代総督です。国を二分した重要人物と同じくらい、長男のことを心に留めていたということでしょう。

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 ハリラールには3人弟がいて、それぞれ結婚して子供をもうけています。ガンディーの孫には政治家や歴史家、外交官、哲学者、NASAの科学者などがいて、世界で活躍しているのだそうです。


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